ホテルを出て、伝統的なタヴェルナが軒を連ねるプラカ地区へと向かう。
地球の歩き方で評判がよかった、その中の一軒に入ってみる。
期待通りのアテネの伝統料理が並んでいて、まずはムサカ、それからラムのスヴラキを注文。
ラムにはやはり濃い赤ワイン、と、ハウスワインの赤を合わせて注文した。
デキャンタに入ったハウスワインを一口飲んでみると……やたらに軽い。
ギリシアの赤ワインといえばボルドーがライトワインに思えるかのようなズシンと重いものしか飲んだことがなかったのだが、こういうワインもあるのだろうか。
もう一口飲んでみる……やはり軽い。軽すぎる。
……どうやら濃厚なワインの水割り(!)のようである。
それでもそれなりに飲めてしまうのがギリシアワインのすごいところだ。
日本でこれをやったら水増しとしか思えないのだが、ギリシアで出てくると、不思議と古代の習慣が今に息づいている、などと感激してしまう(笑)。
そうこうしているうちにムサカが運ばれてくる。ムサカは、日本で食べるとどちらかというとトマト風味が効いている印象であるが、本場の味では、トマトはかすかな風味という程度で、ベシャメルソースのぽってりした味わいの方が勝っている。子のぽってりした味わいが、軽い水割りワインとなかなか相性が良かった。
続いてラムのスヴラキの登場である。
やはり何千年もラムを食べ続けてきただけあって、焼き方が実にうまい。ラムならではの柔らかさ、羊らしいパワフルな香ばしさ、炭火焼ならではのカリッとした表面にジューシーな中身、という具合の芸術的な焼きあがりである。
これにはやはり、水で割らないずっしりと重い赤がほしいところである。ラムなので水割りの軽いワインでもまぁそれなりに行けなくはないが、やはり羊のパワフルなうまみには同じくらいパワフルなタンニンが欲しいところである。
水割りのワインでは大して酔うこともなかったので、少々飲み足りない気分であった。
食後ホテルに戻り、ミニバーでウゾのミニボトル(こちらは適量、ほぼワンショットであった)を食後種として楽しんで、そのまま眠りについた。
翌朝、今度もツアーで、デルフォイの遺跡に向かう。(続く)
空港からホテルに一度戻った私は、夕食をとりに再び町に出かけた。
すでに22時近かったのだが、ギリシア人は宵っ張りで、夕食は22時くらいにとるのが標準だとかで、レストラン街は大変なにぎわいを見せていた。
私が向かったのは、現地人に人気の店だという地元料理の店である。
まず、食前酒として、ギリシア名物の薬草酒ウゾを注文した。
……が、出てきた量がすさまじい。
コップになみなみと注がれて、そこに3つばかり氷が浮かんでいるだけなのである。
そしてこれが30度くらいの蒸留酒ときていて、結局食前のつもりが食中もずっとこれを飲み続けることになったわけである(苦笑)。
とはいえ、アニス系の薬草酒の香りを好む私の口には合う酒であったので、まぁそれはそれでよしとしよう。
まずはギリシアサラダを頼む。野菜をたくさん食べたい私にはとてもありがたいメニューである。
メインには、マトンのひき肉をミートボールにして、トマトと玉ねぎで煮込んだお店の今夜のお勧め料理を注文した。
マトンのパワフルなコクが、味の濃い地中海ならではのトマトの味わいとがっぷり四つに組み合い、大変おいしい。ベストチョイスは地元の濃い赤ワインだろうが、ウゾの独特な香りとマトンの個性的な香りが好対照で、ウゾとの組み合わせもなかなか楽しめるものとなった。
腹も膨れ、ウゾで心地よく酔った私は、ホテルに戻り、眠りに就いた。
翌日は、現地発着ツアーでミュケナイに向かう。
団体行動が好きでない私は、なるべくならツアーに頼りたくないのであるが、ミュケナイ遺跡は交通が極めて不便で、個人で行こうというのであれば現実的にはレンタカーを借りて自分で運転するしかない状況である。車の運転は団体行動以上に嫌いなので、諦めてツアーで行く次第である。
バスに乗り、アテネを出ると、約1時間ほど走ったのち、コリント地峡の休憩所で休憩を取る。
コリント地峡はアドリア海とイオニア海を隔てる約6キロの地峡であるが、ここは古代より何度も運河開削の試みがなされては頓挫していて、ようやく19世紀に完成したという運河である。
標高50メートルを超える丘を真っ二つに切り裂くように掘られた運河は、まっすぐ平行な切り立ったむき出しの岩盤が50メートルもの断崖絶壁となって切り立っていて、なかなか壮観である。ウィキペディアに特徴をよくとらえた写真があるのでリンクを張っておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Corinth_Canal_2.jpg コリント地峡を出発してさらに2時間ほどでミュケナイの遺跡に着く。
ミュケナイの遺跡は、クノッソスの緩やかな丘とは打って変わって、非常に険しい深山幽谷の奥に築かれた城塞であった。世界史の教科書には決まって、クレタ文明は平和的だが、ミケーネ文明は戦闘的、と書いてるものだが、実際に行ってこの難攻不落の城塞の遺跡を目の当たりにすると、なるほどミケーネ文明は戦闘的だ、と実感する。このときはじめて、受験丸暗記知識が実感を伴った経験となったのだ。
圧倒的な迫力を持っているのは、3,300年間崩れずに立ち続ける城壁である。巨大な意思が高く積まれていて、非常に威圧的な雰囲気を持っている。正門を飾る獅子のレリーフは、現存する最古の石像リリーフだそうで、これもまた美しい。
城壁内部は、ミュケナイ滅亡の時に焼け落ちてしまっていて、崩れた遺構が残されているのみであるが、丘の斜面に築かれた町の跡を上へ上へと昇ってゆき、頂上部から周りを見渡すと、本当にこの城塞都市が防衛重視で築かれていたことが納得できる。
神話ではここはアガメムノンの治める都市で、彼とその妻クリュータイメーストラ、そして彼らの子エレクトラやオレステスらの肉親同士の血の復讐劇が繰り広げられた舞台となった街でもある。なるほど、この重苦しい城塞都市には、そんな復讐劇が似合うかもしれない。
ミュケナイ遺跡を見終えるとバスは昼食会場へ進む。
ツアーのお仕着せの昼食がいかなるものか、推して知るべし。多くは語るまい。
(続く)
クノッソス遺跡へはクレタ島の首都イラクリオン(古典風にいえばヘーラクリーオーン、ヘーラクレースの町、である)の中心広場からバス便が出ていて、物の20分ほどで遺跡にたどりつく。
入場料を払って遺跡内部に入ると、まずは思いのほか立体的な遺構が、かなりの修復を含むにせよ、残っているのが素晴らしい。基礎工事しか残されていないと、往時の姿を想像するのは専門家でもなければ難しいと思うのだが、崩れかけていても壁や屋根が残っていれば、それだけでぐっと想像力が膨らむというものである。
以降の中の歩けるところを歩いていくと、本当に狭い部屋がものすごい数作られていたのがよくわかる。どうやら貯蔵庫の後のようだが、狭いところが好きな私には、こういう、狭い部屋がたくさんある建物というのは妙にわくわくするから不思議だ。
本物は博物館に収められている壁画があった壁面には、現代の修復が飾られている。
遺跡に対してこんな大胆な修復を施すというのはなかなか大胆なことだと思うのだが、ギリシアの感覚では積極的に修復するのが好まれるようである。
いずれにしても、やはり宮殿のあったその現場で、修復とはいえそのもともとの姿を見ることができるのは素晴らしい。
それにしても、イタリアで親しんだ遺跡はローマ帝国のものであるから、せいぜい2,000〜2,200年前の割合新しい(!!)遺跡であるが、ここはBC1500年ごろというから、3,500年は経過していることになる。ローマ遺跡のざっと1.6倍も古いのだからすさまじい。その時間の重みというものを実感させられたのは、当時の大理石の敷石で、雨の少ないエーゲ海のこの島で、それでも3,500年分の雨に浸食され、あたかも鍾乳石の如くギザギザに溝が刻まれていたことである。雨垂れも石を穿つということわざを目の当たりにするのは本当に感動的である。
クノッソスの遺跡は小高い丘の上にあり、エーゲ海からの海風が心地よく肌をなでていく。
……間の悪いことに、旅行に出かける直前にうっかり桑田圭祐の「ひとり紅白歌合戦」のDVDを鑑賞してしまった私は、この風を浴びるとうっかり"♪Wind is blowing from the Aegean"というあのさびのメロディが浮かんできて、ジュディ・オングの服装で長い裾をひらひらさせながら歌う桑田圭祐の映像が頭の中をぐるぐるぐるぐる回りだしてしまった(苦笑)。
そんなこんなで遺跡を堪能してそろそろ帰ろうかというところ、偶然例の米国海軍の技師殿とばったり再会した。
これも何かの縁、ということで、また行動を共にすることにした。
もう一度遺跡を軽く回って、とりとめもない会話を交わしながら、遺跡の出口に向かう。
寝ている猫を見つけたり、帰りのバスを待つ間に遺跡の出口のバール(のような喫茶店風飲食店)でオレンジのスプレムータ(のようなフレッシュジュース)を堪能する。どういうわけか、ポンペイしかり、オスティアしかり、遺跡の出口で売っているフレッシュオレンジジュースは格別うまいのである。不思議だ。
その後、市街地をぶらぶら散歩し、ヴェネツィア共和国の領土だった時代の城塞に行ったり、まったりと残り時間を楽しみつつ、最後にコーヒーを一杯飲んで、別れた。彼はこれからエーゲ海の島めぐりに出かけるそうである。さすが海軍軍人、船酔いなど無縁だ(笑)。
飛行場行きのバスを目の前で乗り逃がしてしまったので、やむなくタクシーで飛行場まで行ったが、それでも5ユーロで済んだ。やはり空港が近いのはありがたい。これがローマだったら50ユーロではすむまい。
ロゼワインにならば見えなくもない、ホメロス風にいえば「葡萄酒色の」夕暮れの海の水面を眼下に望みつつ、飛行機はアテネに帰り着き、又バスに乗って市内へと戻る。