趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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映画「ドン・ジョヴァンニ」

 銀座テアトルシネマで、映画「ドン・ジョヴァンニ」を鑑賞した。

 この映画は、主人公は脚本家のダ・ポンテで、彼がモーツァルトとドン・ジョヴァンニを製作するさまを描いた映画である。

 ダ・ポンテを主人公にするアイディアはなかなか秀逸だと思う。
彼はヴェネツィア共和国領内の町に生まれたユダヤ人で、少年期に一家全員がカトリックに改宗し、ヴェネツィアで神学校に入って司祭となるが、ヴィヴァルディの世紀のヴェネツィアで世俗の楽しみを味わいつくして聖職界を追放され、カサノヴァのつてでサリエリを頼り、ウィーンに流れ着く。

 やがてオペラの台本を手掛け、いくつかヒットを出すようになり、「フィガロの結婚」でのモーツァルトとの成功を経て、いよいよドン・ジョヴァンニの製作に入っていくのである。

 歌手同志のいがみ合いや、ダ・ポンテの恋愛などを、ドン・ジョヴァンニの本歌取りを取り混ぜつつ、軽妙に描いていく手腕は見事である。オペラシーンもふんだんに取り込まれていて、オペラファンにはたまらなく楽しい。何より、伴奏が古楽器を使っているのが素晴らしい。

 DVDが出たら、即買い決定である。
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「もうひとつの世界」

 イタリア映画祭で見た映画その2。

 こちらは、過去の作品のリバイバル上映である。

 外界とのコミュニケーションを立っている修道女と、やはりコミュニケーションに消極的なクリーニング店店主が、修道女のもとに預けられた捨て子の持っていたセーターをつながりに、母親探しをともにするようになり、やがて閉ざしていた心を開いて行く。

 大変地味な映画なのだが、しみじみと味わい深い作品である。
 抑えた演技が、主人公が抱える外界とのコミュニケーションへの葛藤を味わい深く伝えていく。

 表面的には、大きな事件はあまり起こらない。しかしながら、主人公の心理面において、大きな変化が生じる。
 それを見事に描き切った作品である。

 情感、という言葉がまさにぴったりくる、詩的な作品であった。

バール・マルゲリータに集う仲間たち

 イタリア映画祭で「バール・マルゲリータに集う仲間たち」を鑑賞してきた。

 これは、1950年代のボローニャのバール・マルゲリータの常連客達の面白おかしい暮らしぶりを、その仲間に入ろうと懸命に背伸びする少年の目を通じて描いた作品である。

 まず、常連客達のキャラの濃さが非常に面白い。日本人が思い描く、やや予定調和的な描き方ではあるものの、やはり古き良きイタリア気質とでも言うべき愛すべき、そして癖のある男たち―そう、悪ガキがそのまんま体だけ大人になったかのような―が、何ともユーモラスに描かれているのである。

 ストーリーらしいストーリーはなく、フェリーニのアマルコルドのように断片的なエピソードが羅列的に繰り広げられてゆくのだが、見るものを全くあきさせないテンポの良さが心地よい。

 こんな面白い常連客の集まるバールの常連になってみたいものだ、と、主人公の少年ならずとも思ってしまう、そんな作品である。

映画「カラヴァッジョ」

 映画「カラヴァッジョ」を鑑賞した。

 絵画史上最大の無頼派、カラヴァッジョの一代記だが、作品の生まれるドキュメントとして実にすばらしい作品である。

 カラヴァッジョのあの劇的な構図、美しい光と影の強烈な対比などが、映像で巧みに再現されている。

 カメラワークもライティングも、カラヴァッジョを描くにふさわしい、センスの良い仕上がりで、美しい映像を心行くまで味わうことができる映画であった。

イングロリアス・バスターズ

 クエンティン・タランティーノ監督の新作、「イングロリアス・バスターズ」を、遅ればせながら鑑賞してきた。

 実にタランティーノらしい、超一流のB級とでも言うべき大作で、練り上げられたプロットのうまさには脱帽させられるし、彼好みのキッチュでオーヴァーな暴力表現も健在である。

 その一方で、私のような語学マニアには、フランス語、ドイツ語、英語、イタリア語の入り混じる言語空間がたまらない。こうした多言語環境が、ストーリー上重要な役割を果たしているのも実にすばらしい。

 あまり詳細を書くとネタばれになるので避けるのだが、ブラッド・ピット演じる主人公の「ひどいアメリカなまりのイタリア語」と言うのが笑える。
 彼はイタリア人になり済まそうとするのだが、イタリア語のRの発音が全くできず、我々日本人を最低6年苦しめてきたあのおなじみ巻き舌の英語のRの発音で名乗ってしまうのだ。

 LとRで苦労するのは日本人だけの話かと思ったが、アメリカ人もいざイタリア語となると彼らなりにLとRで苦労するようである。

 ……ちょっと溜飲が下がったのは、私だけではあるまい(笑)
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