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趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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微笑みの裏に……~モーツァルトフォルテピアノ協奏全曲レヴュー(25)

 第27番変ロ長調、K.595。

 モーツァルト最後のフォルテピアノ協奏曲である。
 ベーアというクラリネッッティストの主催する演奏会にゲスト出演したときに演奏するために作曲されたものである。

 平易なメロディ、フォルテピアノとオケとの親密な対話、全体を貫く透明で静謐な雰囲気、と、表面的には微笑むような雰囲気をたたえた作品である。
 特に、ゆっくりと自説を説明していくかのようなフォルテピアノの語り口は非常に見事である。

 しかし、実際に聞いたときの印象は、作品の表情とは裏腹に、なぜか奇妙な緊張感、あるいはある種の恐怖感のようなものを感じてしまう。感覚としては、古老の語るままに採話した民話や伝説にみられるような、子供の無邪気な残酷性を垣間見るかのような奇妙な恐怖感、あるいはつげ義春の「ねじ式」に見られるような白昼夢的な奇妙な感覚に近い。

 この作品は、表面上の穏やかさの裏に潜む見てはいけない何か恐ろしいものをどう感じさせるか、がポイントとなるだろう。

 ソフロニツキの演奏は、中庸なテンポ設定のもと、オケとフォルテピアノの親密な対話をじっくりと聞かせる。この粛々と進む演奏は、それゆえに裏にひそむ未定はいけない何かの息遣いを何となく感じさせるのに成功しているといえるだろう。

 同曲異演は、ビルソン、インマゼール、タン、デムスの四種類。

 ビルソンの演奏はダイナミクスの幅を大きく取り、弱音・強音の表情付けが面白い。それはあたかも、時々びくびくしながら強気に進み、たまにびびったりほっとしたりする肝試しの参加者のようで、背後に潜む恐ろしげな何かの感じさせ方がうまい。

 タンは速めのテンポと軽やかなフレージングで元気いっぱいに弾きすすめる非常にネアカな演奏で、あまり何か恐ろしいものが背後に控えている感じを感じさせない。まるでみんな寒がったり気持ち悪がったりしてるのに一人だけけろっとしている霊感ゼロの人みたいで面白い(笑)。大槻教授型とでも名づけたい演奏だ。

 逆にデムスは、オケもフォルテピアノもかなり緊張感を意識しており、裏側の恐ろしい何かは、「感じる」というより「影がちらちら見える」感じがする。しかし、それはあたかも悪い噂が本当であることが市場に織り込まれてしまった株式相場のごとく、材料で尽くしでかえって怖さが弱められてしまう嫌いもある。

 4つの演奏の白眉は、インマゼールによるものである。表面上の穏やかさと裏側の恐ろしさが頂点に達したといっても良いだろう。オケの表情もフォルテピアノの表情も、きわめて落ち着いており、終始非常に穏やかである。それでいながら、繊細な弱音表現を、モデレータまでをも効果的に使い、何かこの世ならぬものがすべてを操っているかのような異様な緊張感をひしひしと感じさせるのである。あとから何となくゾーっとこわくなってくる、この感覚がすばらしい。

 これでついに年内完結を危ぶまれたこのシリーズも、無事やり遂げることが出来た。人間、やれば出来るものなのだなぁと感慨深い。

 今回思ったのは、時系列をなぞる、ということが非常に面白いということである。クラシックに限らず、まとまった作品を残した音楽家の作品を鑑賞する場合、通常、有名な作品から入ってマニアックな作品へ、という入り方をするものであるが、そこを一度リセットして、新しい耳で、同時代の人たちと同じ感覚で時系列をなぞって聴き進めていくと、いろいろと新鮮な発見があるものである。 【“微笑みの裏に……~モーツァルトフォルテピアノ協奏全曲レヴュー(25)”の続きを読む】
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