趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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ソフィスト教育実地訓練

Miles的・・・さんより、新たにお題を頂戴した。



 5/5は、子供の日、ナポレオン1世の命日、およびT・F氏(筆者注;私です)の誕生日である。これら3つの自称が同日であることに関し、歴史的な運命あるいは必然性があるという見解と無いと言う見解がある。これらの見解につき、あなたの思うところをブログにアップしなさい。


 いつもながら無理難題である。
 しかしながらこのような無理難題を示されると、ついつい元受験生の血が騒ぐ(苦笑)。そこで今夜は、今はもう無い”二次試験”の論文答案風にこのお題にお答えしたいと思う。


(解答例)
 5/5は、子供の日、ナポレオン1世の命日、およびT・F氏の誕生日である。これら3つの事象が同日であることに関し、歴史的な運命あるいは必然性があるという見解と無いと言う見解がある。これらの見解について検討を行うにあたり、前提として、運命および必然性の定義および両者の関係がまず問題となる。
 一般に、運命とは、将来の事象が当事者の意思の及ばない何らかの要因によってあらかじめ不可避的に定められていることと考えられる。このような運命が実在するか否かは議論の余地があるが、題意より、本問においては運命の実在を仮定して議論を進めることとする。これに対し、必然性とは、ある事象と他の事象との間に、一方が生じるためには他方も生じなければならないと言う論理的・普遍的な関係があり、両者が単独で発生することができないことを言うと考えられる。そうだとすれば、必然性のある複数の事象は、当事者の意思に関係なく不可避的にあらかじめ定められている以上、運命の定義にも該当する。しかし、運命の実在を仮定した場合、必然性の見られない事象であっても、何らかの力により当事者の意思と関係なくあらかじめ不可避的に定められていると観念することは可能である。以上より、両者は、運命の定義が必然性の定義を包含する関係にあるといえる。
 以上を踏まえ、本問においては(1)必然性の有無(2)運命の有無という2段階に分けて議論を行うことが適切である。

 まず、必然性の有無の見解について議論する。
 思うに、本問で問われている三者の関係に必然性を認めるためには、それぞれの事象が5/5に生じることについてそれぞれに必然性が認められることが必要である。なぜなら、三者の唯一の客観的共通点は5/5と言う日付だけであるから、三者が5/5に生ずることに必然性を認めるためには、三者すべてが5/5と言う日付との間にそれぞれ必然性を有することが必要だからである。
 そこで、各事象が5/5と言う日付との間に必然性を有するか否かを検討することとする。
 この点、5/5と言う日付がナポレオン1世の死や子供の日の制定およびTiberius Felixの誕生よりも前に存在した以上、5/5であるためにはその日にナポレオン1世が命日を迎えなければならない、Tiberius Felixが生まれなければならない、子供の日でなければならない、と言う関係は成り立たない。以上より、三者が同日であることには必然性が認められない。
 よって、三者が同日であると言う見解は客観的に誤っているが、三者が同日であることに必然性が無いと言う見解は客観的に正しいと考える。

 次に、運命の有無について議論する。この議論に関しても、三社の唯一の客観的共通点が5/5と言う日付しかない以上、3社すべてに運命が認められることが必要である。
 この点、5/5が子供の日であることは祝日法により定められており、個人の意思とは無関係であることから運命が認められる。次に、ある個人の命日が特定の日付であることについて運命を否定しうるのは唯一自分の意志に基づく自殺の場合飲みと言える。これに関し、ナポレオン1世の諸説ある死因について、自殺と言う説がまったく唱えられていないことから、ナポレオンの命日が5/5であることは当事者の意思を問わないので、運命と言える。
 次に、Tiberius Felix氏の誕生日であるが、生まれてくる子供が生まれるべき日は、生まれてくる子供の意思はまったく介在していないので、運命と言える。
 以上を総合的に考慮すると、3者がいずれも5/5であることはすべて運命によるものであり、従って三者が同一の日であることもまた運命によるものと言える。
                   、
以上より、必然性があるという見解は誤りであるが、運命があるという見解は正しいと言える。


 さてさて、Miles的・・・さんのリクエストに叶う答案になったかどうか。はっきり言って空虚な言葉遊びだが、こうした”指先”三寸でそれらしい議論を展開して人を煙に巻くというのは、なんだか古代ギリシアのソフィストになったような気分でなかなか楽しいものである(笑)。

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