趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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フェッラレーゼは宵っ張り~迷宮的旅行記第三章(15)

 フェラーラの町は、町のど真ん中にどーんとそびえるエステ家の居城や、大きな大聖堂、四角錐型の突起でびっしりと覆われたディアマンティ宮殿などが有名である。

 着いた時間が遅めだったので、5時にしまってしまうエステ宮は翌日に回し、ディアマンティ宮殿と大聖堂、夜7時まで開いているロメイの家(ルネサンス時代の貴族の邸宅を博物館としたもの)を訪ね、いったんホテルに戻ってオペラである。

 今日の演目は、パーセルの『ディドーとエネアス』で、CD一枚分で終わってしまう短い作品のため、開始時間が21時と非常に遅い。

 パーセルはイギリスの作曲家で、ジェームズ2世の治世下に活動した中期バロック時代の人物である。『ディドーとエネアス』は、ウェルギリウスのアエネイスに題材をとったオペラで、ディドーの嘆きの歌で名高い佳品である。

 序曲が始まると、歌手たちはおもむろに舞台の上におかれた巨大な水槽の中に飛び込み、その中を踊るように泳ぎまわる。これがなかなか幻想的で、とても美しい。

 しかし、そこから先がいただけなかった。

 殆ど場ごとに、話の流れをぶった切ってしまい、意味不明の幕間劇的寸劇を延々と繰り広げるのである。ベルリン・バロック・アカデミーの演奏はいつもながら切れ味鋭く緻密で、歌手たちの声も透明感にあふれた美しい、まさにパーセルを歌うのにぴったりした歌唱で、演奏は大変素晴らしかったのだが、この寸劇がオペラの流れを切り裂くたびに台無しになってしまった。

 確かドイツあたりの演劇理論で、話の流れを無理矢理ぶった切ることで何かの効果が生まれるとかいう話を何かの本で読んだような気がするが、これはそのつもりだったのだろうか。案の定、この上演の演出家はドイツ人だ。まったくどうしてドイツ人てぇのは何でも小難しくしないと気がすまないのかねぇ……。

 まあ、音楽は良かったのだから、よしとしよう。
 特にアウロレ・ウゴリンのディドーの嘆きの歌は静謐、透明でありながら内に秘めた凄絶な迫力を―まるで中島みゆきが歌うような女の情念を―感じさせ、大変に素晴らしかった。

 オペラがはねた後は、イタリアのほかの都市ならばまともな食事の取れるような店は皆閉まってしまうのだが、どういうわけかこの町は『夜はまだまだこれからだぜ!』と言わんばかりに町がにぎわっていた。
 劇場の前の通り沿いのパスティチェリアには軒並み煌々と明かりがともり、店内も通りのテラス席にも老若男女あらゆる世代が思い思いに時間を過ごしており、大聖堂前広場には若者たちが集まって陽気に盛り上がっている。この雰囲気に誘われてせっかくだから何か食べていこうと周囲を見てみると、後期ルネサンスの巨匠詩人タッソが通ったと看板に掲げているブリンディシと言うワインバーを見つけたので、ここでワインを飲んでいくことにした。

 ワインバーなのでティピカルなイタリア料理はないのだが、フェラーラ料理らしい、鶏のひき肉と小麦粉をこねてブロードで煮込んだスープ料理と、エミリア・ロマーニャの赤ワインをグラスで2杯、そしてパルミジャーノ・レッジャーノを味わってホテルに戻った。

 フェラーラは素敵な町だ。町は小さいが、まるで東京のような活力と賑わいがある。またいつか、今度は2,3日滞在してこの町の夜をたっぷり楽しみたいものである。(続く)
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