趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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『生活の設計』、あるいは男の夢のひとつの形~

 ユングの心理学によれば、男はかなりはっきりした理想の女性像『アニマ』を心の中に思い描いていて、その『アニマ』の追求が恋愛における行動原理になるという。まあ要するに『好みのタイプ』をめぐる心理学といったところである。
だから男は、実際のパートナーと『アニマ』の差異に不満を抱える、ひいては『よりアニマに近い』パートナーを求めて浮気する、とユングは考えたそうである。

 しかしもし、アニマそのもの、という女性が現実に目の前に現れたとき、そして自分以外にも彼女を狙うライヴァルが存在するとき、男は何を思うか-そんな男の究極の夢を描いた映画が1930年代に製作されていた。塩野七生氏の映画評論エッセイ集『人々のかたち』で紹介されていた、『生活の設計』である。前からずっと見たいと思って探していたのだが、ようやく新橋のツタヤで発見、早速借りてきた。

 劇作家志望の若い男と、画家志望の若い男の二人が、パリでそれぞれの成功を目指して生活をともにしている。二人で電車に乗っていると、偶然ミューズのような一人の若い女と同席になり、二人はたちまち彼女に魅了される。当然の成り行きとして、二人は個別に彼女にアプローチし、結果的に彼女は二股をかけることになる。それが露見する。サア、大変。

 さて、このような時、男なら何を思うであろうか。
 二股をかけた彼女は自分にとってのアニマそのもの、これほど強烈な魅力を放つ女性はほかに想像すら付かず、彼女を逃してはもはや二度とそのような女性にめぐり合えないであろう。その唯一無二の、存在自体が奇跡に近い女性が、自分だけに、というわけではないにしても、少なくとも自分”にも”少なくない好意を寄せてくれている。ならば…

 二股をかけられてもいい、独占できなくてもいい、せめて”側室”の一人にでもしてもらえれば……

 目の前にいるその女性が、本当にその男にとってアニマそのものであるとするならば、そう考えるのではないだろうか。
 私とこの映画の脚本家だけかもしれないが(苦笑)。

 夢物語である。悲しいかな、現実の女性はそのように広い心を持った人はほとんど居らず、圧倒的多数が一人だけを選んでその他を拒絶してしまう。だからこそ夢物語なのだが、この映画はその夢物語を、暖かく描き出してくれるのだ。

 現実の女性もみんなこういう風に考えてくれたら、もしかしたらあのときのAさんやあのときのBさんも、私を”側室”の末席にでも加えてくれていたのかもしれない……嗚呼、現実は厳しいなあ(泣)
 
 
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