趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

なぜフォルテピアノはフォルテにならずにピアノとなったのか~モーツァルトフォルテピアノ協奏曲全曲レヴュー(4)

 第6番変ロ長調、K.238。

 モーツァルトにとって2曲目のフォルテピアノ協奏曲である。
前作に比べて、幾分肩の力が抜けた感じの曲風で、フォルテピアノとオケとの親密な対話が繰り広げられる。

 作曲は1776年で、モーツァルトは二十歳。もう立派な大人だ。

 この曲をじっくり聴いて、強く感じたことは、弱音の表現が目立つことである。

 フォルテピアノが、強弱をつけたくて発明された楽器であり、フォルテ(強音)とピアノ(弱音)がともに演奏できるからフォルテピアノとかピアノフォルテとか呼ばれていた、というのは、音楽史的には有名な話だが、この楽器が従来のチェンバロとの対比で当時の演奏家・作曲家たちを魅了したのは、弱音が出せる、という点にあったようである。じっさいフォルテピアノの実演を聴くと、強音はチェンバロと大差ないが、弱音が非常にニュアンス豊かなのがわかる。だからフォルテピアノはその後、フォルテとは略されず、ピアノと略されるようになったのだろう。

 モーツァルトも、前作の発表以来2年余りを経て、さまざまな最新式の高性能のフォルテピアノにめぐり合う機会を得ていて、この楽器の魅力の本質を弱音表現に見出した作曲家の一人となったようである。第一楽章のピアノソロでも、弱音を強音と対比させる手法が一段の深化を見せているし、第二楽章で弱音気をつけたヴァイオリンの伴奏でささやくような歌を歌って見せるなど、あちこちで弱音が大活躍である。

 また、今後の作品では常連となる、最終楽章でのロンド形式が採用されているのも目を引く。モーツァルトの作品を聴いていて、特に私が魅力的だと思うことのひとつに、ふとした瞬間に挿入される魅力的なワンフレーズのメロディがあるが、そうしたメロディはロンド形式の作品に特に出現率が高い。きっとロンドという形式が、決まったメロディを繰り返しながら、その間に別のメロディを挟んでいく(ABACADAE・・・)形式であるため、魅力的なメロディが浮かびやすいのかも知れない。

 この作品でも、ABACAEAのCの部分の後半部分、短調に転調して非常に情熱的な~後の第20番を予言するかのような~ごく短い、そして非常に魅力的なワンフレーズが登場する。

 ソフロニツキの演奏は、弱音の表現力を豊かに引き出していて、大変魅力的であった。地味ではあるが、滋味のある、そんな作品と演奏であったといえるだろう。

 同曲異演では、インマゼール、ビルソンの全集のほか、コーエンがアストリーに録音したものがある。

 演奏比較を書きたいところなのだが、何分滋味あふれてはいても地味な曲であるので、記憶ベースで比較を書くには印象が薄く、じっくり聴きなおさない限り無理である。残念だが、その時間は作れなさそうなので、いずれまたの機会に譲りたい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tiberiifelicis.blog10.fc2.com/tb.php/242-9e590cde
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。