趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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融通無碍なるエウフォリア~モーツァルトフォルテピアノ協奏曲全曲レヴュー(21)

 第23番イ長調、K. 488。

 非常に幸福感にあふれた、流麗、変幻自在、融通無碍の、アマデウスの天才性が遺憾なく発揮された作品である。

 第一楽章の流麗で心浮き立つメロディも、第二楽章の嬰へ短調というきわめて珍しい調性で奏でられる、はかない憂いにあふれたメロディも、いずれもすばらしいものだが、この曲の圧巻は何と言っても第三楽章であろう。
 かなり自由なロンド形式をとりつつ、次々と繰り出される流麗なメロディの洪水に、聴く者はただただ息を呑むばかり。これほどの幸福感、むしろエウフォリア、躁的といっても過言ではないほどの幸福感にあふれた作品は、モーツァルトの他の作品を探してもそうそう見当たらない。

 私が特に美しいと思うのは第三楽章のちょうど真ん中のあたりで、緊張感のある短調のパッセージのあとに、あたかも暗い森を抜けて眼前に一面の花畑が広がるかのようにクラリネットがやさしく暖かいフレーズをかなで、それにフルートがこれまた優美極まりない合いの手を入れ、その一連の音楽をフォルテピアノが繰り返す、という、場面である。もし天使が地上に舞い降りるときにBGMを伴うとしたらこれこそうってつけであろう。

 ソフロニツキの演奏は、この曲のやさしい雰囲気をよく再現している。
 テンポ設定は中庸で、作品を通して活躍する管楽器群の響きを豊かに味わうことが出来、そこにヴィヴィッドな音色のフォルテピアノが楽しげに歌を添える。第三楽章の例の部分の雰囲気も、クラリネットの豊かな歌といい、フルートの音色の透明感といい、それを受け継ぐフォルテピアノのきらめくようなタッチといい、非常にすばらしい。

 同曲異演は、この作品の魅力の故か数多い。おなじみビルソン、レヴィン、インマゼールにニコルソン、ギボンズ、タン、デムスと7種類、20番と並んで数の多さでは同率2位である。

 ここでは第三楽章の上記部分の聴かせ方に的を絞って比較したい。
 インマゼールはクラリネットの歌わせ方が実に良く、短調部分とのコントラストもとてもうまい。バランスの良い聴かせ方だ。
 タンは指揮がいまや押しも押されぬ巨匠ノリントンなのだが、この人らしくフレージングに工夫が凝らされていて、木管アンサンブルがフォルテピアノにメロディを引き渡すときに音量をふっと抑える。これがなんともいえない色気をかもし出している。
 ビルソンは木管から引き継いだフォルテピアノの歌わせ方が、あたかも思い出に浸るような繊細なニュアンスを持っていて、好ましい。木管からフォルテピアノへのリレーションのうまさについて言えば、ニコルソンも負けていない。
木管の出だしでクラリネットが一番歌っているのはデムスで、ここの部分の美しさがもっとも印象に残る演奏である。クラリネットの入り口でテンポを落としてタメを入れているのが利いている。
 他方、レヴィンの演奏は、ここだけを取り出して聴くとややそっけない印象がある。しかし、ほかの演奏とは比べ物にならない怒涛のハイスピードでの演奏で、この作品のエウフォリアを一番強く表現しているのも、実はレヴィンの演奏だと私は思っている。

 いずれにしても、これだけたくさんの演奏であの部分を味わい比べることが出来るのは幸せなことだと思う。
 
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