趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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さすが古典は一味違う

 この年末は心静かに読書でも、と思い、ファンダメンタルズ分析の古典、グレアムの「証券分析」と「賢明なる投資家」を購入した。

 それぞれ冒頭部分をちょっとめくってみたのだが、さすが古典と呼ばれるだけの書物は違う。両方とも、ローマ黄金期の古典の詩句が引用されて始まっているのである。

「証券分析」の冒頭

 Multa renascentur quae iam cecidere, cadentque
   quae nunc sunt in honore (uocabula)"
(Horatii Ars poetica 70-71)


→ホラティウスの「詩の技法」第70~71行からの引用である。
 著作権を侵害しないために訳文は自作すると、
 「今は滅んだたくさんの言葉がよみがえり、また今は名誉の中にいるたくさんの言葉が滅びる。」となる。
 グレアムの引用ではおそらく意図的に最後のuocabula(言葉)の部分が省かれており、「たくさんのもの」という読み方になる。たくさんの何か、は言わずもがなだが、ホラティウスの時代にはなかった有価証券に他ならない。

「賢明なる投資家」の冒頭

 "Per varios casus, per tot discrimina rerum
 tendimus (in Latium;)"
 (Vergilii Aeneidos liber primus 204-205)


→ウェルギリウスのローマ建国物語「アエネイス」第一巻204~5行の引用である。
 「何種類もの不運と、これほど多くの物事の転変を経て、
  私たちは目指す、(ラティウムを)。
 グレアムがこの詩句に、何種類もの株価暴落と、これほど多くの上昇トレンドへの転換を経て、投資家が利益を目指すことを託しているのは明らかだ。

 さすが、古典と呼ばれる書物は始まり方からして格調高いものだ。古典ラテン文学を、特に韻文を愛する私としては、かのバフェットに薫陶を授けたグレアムが、その代表作でラテン韻文を引用していたということだけでアノマリーな喜びを感じてしまう。

 目指せ、バフェット。

 ……といっても私はテクニカル重視ですが(苦笑)
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『ラテン文学』について

ラテン文学ラテン文学とは#ラテン・アメリカで書かれる文学作品のこと。特に現代のスペイン語で書かれるものを指す。ラテン語による文学作品のこと(本項で詳述)。----.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article-

  • 2007/02/13(火) 10:27:23 |
  • 『小説なんでも大事典』
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