趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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「バベル」~神はサイコロを振り続ける

 話題の映画、「バベル」を見た。

 さまざまな話題に上るこの作品だが、作品そのものの出来からして、非常に力のある芸術的映画だ、というのが私の感想だ。

 タイトルを旧約聖書のバベルの塔の寓話―かつてみな同じ言葉を話していた人類が相互に意思疎通の不可能な「外国語」を使いあうようになったという、あの寓話ーに取っていることもあって、マスコミではコミュニケーション不全のもたらす苦しみを描き人々の相互理解を訴える作品であるかのような宣伝がなされている。

 しかし、私の考えでは、そうした解釈はこの作品の意図を誤解しているように思えてならない。そのような解釈は、あたかも人と人とのコミュニケーションを主眼に置くものであるが、実際にこの作品を鑑賞すると、そのような描かれ方はしていないと私は感じた。
 むしろ、この作品で強烈に描かれているものは、そもそも意思疎通の対象となりえない、しかしながら決定的な影響力を持つ抗いがたい外的な力、そして、そうした力に自分の命運のすべてを握られてしまった状況に対する恐怖とやり場のない怒り、そして絶望であるといえるだろう。

 たとえて言うならば、自分の運命を全知全能の神が一人で決めているとする。この場合、自分の努力によって神を説得し、わずかでも自分に有利な結末を引き出しうるとすれば、その前提条件それ自体が一つの希望にもなり得よう。だが、自分の運命は神が振るサイコロの目の出方ですべて決められてしまうとすればどうであろうか。この神は全知全能ではなく、他人の運命の決定権を握ってはいても、その決定内容がどうなるかはさいころの目の出方次第、それを振る神自身にもコントロール不可能で、しかし出た目の通りの結末を必ず実現させるとしたら。

 その場合、サイコロを振る神自身にも、どの目が出るかはわからない。どんなに言葉を尽くそうとも、善行をつもうとも、こちらから効力を持つ働きかけは何一つできないことになる。この状況は、圧倒的に絶望的ではないだろうか。

 「バベル」は、そんな絶望的状況に陥った人々の物語である。宣伝にあるように、一つの銃撃事件で結び付けられたモロッコ、日本、アメリカの人々のそれぞれを描くストーリーになっている。

 旅行中に妻が突如銃撃された男にとって、すべての関心事は妻が助かるかどうか、ただそれだけになる。そして、妻が助かるかどうかについて、男は全く無力である。無事、妻が応急処置を受けられるか。本格的治療を受けられる病院に手遅れにならぬうちに搬送できるか。医師の治療が適切に行われるか。治療を受けた妻は無事に回復するか。男の努力によって状況を好転させるすべはないに等しく、すべてはこちらの意思になど何の聞く耳も持たない、コントロール不可能な外的な力に支配されている。
 
 あるいはまた、夫婦がアメリカに残してきた2人の幼い子供とそのベビーシッターの身に降りかかる、予想外の災難。これもまた、わずかな軽率さが招いた状況であるにせよ、やはり何を主張しようともこちらからは何の影響力も持つことのできない、絶対的な外的な力がすべてを支配する状況に陥ってしまう。

 そして日本の、菊池凛子演じる聾唖の女子高生、チエコ。
 外国人の目にはどうやら女子高生に見えるらしい。が、日本人の私の目には、26歳で女子高生役はいくらなんでも厳しい、というのが正直な感想ではある。が、それは映画の本質とは関係ないので脇に置いておいて(笑)、本題に戻そう。

 彼女は自分が異性からの恋愛対象になりえないのではないかという恐怖に強く囚われており、その恐怖のゆえに奇行を繰り返す。恋愛という行為は、まさに相手の動向一つにすべてが決定されてしまう状況であり、神の振るサイコロにすべての命運を握られている、もっとも身近に起こる、もっとも絶望的な状況の一つにほかなるまい。中・高くらいの年ごろに、そのような恐怖と絶望、怒りの渾然一体となった複雑な感情にとらわれた経験のある人は、チエコ(や私)だけではないはずだ。

 映画が用意する結末はここには書かないが、こうした状況に対するあの複雑な心理を、この映画は巧みに描き出している。そして、見終えた後には、そうした心の動きをともにすることによって、ある種のカタルシスが得られること請け合いである。……もしあなたが全知全能で、恋愛においても絶対の強者だ、というわけでもない限り。
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コメント

『神はサイコロをふらない』

と、アインシュタインはおっしゃられたそうです。
我々の世界が量子に満ちているのなら、きっと恋愛の力学にも量子力学が関係しているはず。
すなわち、物質間(男女間)の目に見えない関係にはサイコロではなく何らかの運動法則が・・・・・・あるんですかね?(笑)果たして。

もうこの際、相手の星座を調べたり好きな音楽を聴いたりして先方に合わせるのではなく、こちらから主導的にサイコロを振ってみては?正120面体くらいのハードコアなサイコロを振ればイチコロですよ(笑)
目には目を。
恋愛にはサイコロを。
短答にもサイコロを。

  • 2007/05/17(木) 04:33:53 |
  • URL |
  • Miles的・・・ #-
  • [ 編集]

 素人の私には聞きかじりの受け売りの世界ですが、量子力学業界では不確定性原理とやらの証明により、神はサイコロを振るというのが現在の定説だそうで。

 ……まず正120面体のさいころを手に入れることから始めないといけませんね(苦笑)

  • 2007/05/18(金) 00:41:50 |
  • URL |
  • Tiberius Felix #-
  • [ 編集]

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