趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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Paradise Lost,あるいはお盆の思い出

 今年もお盆が来た。
 前職では、事務所一斉休暇と言う制度があったが、現在の職場には、そのような制度はない。市場はお盆も空いているのだ。

 と言うわけで、これからしばらく縁の切れるお盆の、かつての思い出についてでも書いておきたいと思う。

 私は先祖代々の土地に育った田舎者だったので、所謂「帰省」というものを経験していない。しかし、毎年お盆のシーズンになると、祖母方の曽祖父の墓のある館山に出かけるのが一種の恒例行事となっていた。

 祖母方の曽祖父は、私の生まれる遥か前にすでに世を去っていて、直接の面識は全くない。しかし、祖母の語る昔話を聞くところでは、非常に商才のある人物で、10代半ばに世に出たのち、はじめ繊維問屋を起こし、その後不動産投資と金融業に転じて早くも30代半ばにはなかなかの財産を築いていたようである。私も見習いたいものだ。

 曽祖父は東京を拠点に活動していたのだが、昭和の初めごろ、どこかのつてから、館山の由緒ある漢方医の家計が途絶え、財産を処分することになったのだが、素晴らしい水の湧く井戸がある屋敷の買い手が現れない、どうだ買わないかと持ちかけられ、はるばる館山まで見に行ったところ、非常に気に入り、二つ返事でその屋敷を購入したのだという。

 戦後は、東京での商売の一切を息子である大伯父に譲り、もっぱら館山のこの別荘で過ごしていたそうである。

 私の知るこの別荘は、曽祖父亡き後大伯父が相続したもので、生け垣に囲まれた長方形の敷地の短い辺の真ん中に門があり、中に入るとまず門のすぐ左手にとても美味しい水の湧き出る井戸がある。右手には居住用の建屋が敷地の境界線に沿って建てられていて、その建物の向かいに築山が築かれている。

 築山の中には小さな池がいくつか作られていて、要所要所に松のほか、灌木がふんだんに植えられていた。築山を取り囲むように細い通路がめぐらされていて、築山の裏手には小さな芝生の広場がある。この周りには梅と柿と石榴が植えられていて、ちょっとした果樹園の楽しみがあった。

 土地の境界の生け垣は入り口正面に作られているのみで、他の三辺は、前の所有者だった漢方医の家系の人々が住んでいた江戸時代から生えている大木が、あたかもぐるりと屋敷と庭園を守るかのようにうっそうと茂っていた。

 私はこの庭園をとても愛していた。盆や正月などに親族の集まりなどがあると、あの庭園とあの井戸水を楽しみたいがために、喜んで館山を訪ねたものであった。

 この井戸水の素晴らしさは特筆に値した。
 いわゆる日本の軟水なのだが、すっきりとした癖のない味わいで、ほのかな甘みを感じる飲み口の後、後味にかすかなミネラル感が残る。水そのものの味を楽しむという意味で、これほどの水は飲んだ事がない。

 だが、この楽園にも終わりの日がやってくる。
 数年前、ちょうど私が大学を卒業して働き始めた年に、大伯父が亡くなったのだ。
 大伯父の生前も、これだけの庭園を維持管理するのはかなりの苦労があったそうで、相続した大伯母はもはやこれ以上別荘を維持することは困難と言う結論に達した。

 そして、別荘は売却されたのだが、次の買い手は住宅開発会社だった。

 植栽は除去され、築山は整地され、井戸は埋められ、4件分の宅地として売却された。

 現在、かつての庭園の跡地を訪ねても、そこにあれほどの庭園があった形跡はもはや何もなくなっている。

 諸行無常、万物流転、παντα ρει(パンタ・レイ)。

 そんなわけで8月になると私は、あの失われた楽園に思いをはせるのである。
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コメント

まあ、もったいない…
でも、ほんとうに仕方ないことのようですね。
以前、築半世紀・平屋建十三室の洋館(マントルピースあり)に住んでいた老婦人を存じ上げていたのですが、「子供達のことを考えるとねえ」と仰って、取り壊し→マンションになさいました。

でも、今日はTiberiusさんの筆により、かつてあった楽園が、私の目にも見えるように甦ったと思います。

  • 2007/08/13(月) 23:46:46 |
  • URL |
  • なつ #3ItBdoaY
  • [ 編集]

 本当に、もったいない話でした。
 せめてどこかの金持ちが、かつて曽祖父がそうしたように、あの庭園と井戸の価値を認めて、あのままの形で買ってくれていたら……

 とはいえ、日本の税制では不動産はマンションにでもして運用しないと持っているだけで家計を圧迫する金食い虫になってしまいます。税制が変わらない限り、文化的に優れた建築物はどんどん失われていくでしょうね。

 私は、いずれあの庭園のことを文章にしておきたいとかねがね思っていたので、なつさんにそのようなお言葉を頂けると本当にうれしいです。

  • 2007/08/14(火) 00:19:37 |
  • URL |
  • Tiberius Felix #-
  • [ 編集]

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