趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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イタリア語で歌うヴァイオリン

 ヴァイオリンは人の声に最も近い楽器で、その音色はまさに言葉によらぬ歌声を響かせるものである、というのがルネサンス以来の西洋音楽の伝統にもっとも頻繁に見受けられるヴァイオリン観だ、という趣旨の話を何度か読んだり聞いたりしたことがある。

 正誤で切り分けるような性質の議論ではないので、趣味と感性の問題ではあるところだが、実際にガット弦を張ったヴァイオリンの素敵な演奏にたくさん接すると、なるほどいい得て妙だと私は実感している。

 その中でも、私の感性に対しては、特にイタリアの作品をイタリアの名手が奏でたものに、そう感じさせるものが多いようだ。これは恐らく、彼らの母語とするイタリア語の歌うようなキャラクターに由来するところが大きいのではないかと想像される。

 作曲家の各メロディは、どことなく母語の影響が色濃いということを何となく感じている方は少なくないだろう。声楽抜きの純然たる器楽のメロディでも、バッハのヴァイオリン協奏曲はドイツ語のように聞こえるし、クープランのトリオ・ソナタはやはりフランス語のように聞こえる。そして、コレッリの作品はやはりイタリア語のように聞こえるのだ。

 だから、イタリア語を母語とする演奏家が、イタリア語を母語とする作曲家によって書かれたメロディを奏でるとき、ヴァイオリンはイタリア語の歌を歌うのであろう。

 そんなリングイスティカルナ表現が非常に絶妙な一枚に巡り合った。

 ストラディヴァリやアマティを生んだヴァイオリンの町、クレモナの演奏家が集まって、地元クレモナのレーベルに18世紀前半のイタリアのヴァイオリン音楽を録音した一枚である。

 のっけから、さすがクレモナ、と感心してしまうような流麗な音色のヴァイオリンの音が全身を包んでくれる。イタリアのバロックヴァイオリンにガット弦を張って水準以上の演奏家が奏でた音色を聴くと、あたかも夏の夕方に自然な冷たさのおいしい井戸水をじっくり味わって飲んだ後の後味のような、みずみずしさとかすかな甘みを伴ったさわやかさを強く感じるのだが、まさにそうした音色をごくごくと飲みほすように味わわせてくれる。

 圧巻は、コレッリの合奏協奏曲から第4番ニ長調を録音した部分である。一つ一つの音の表情付け、間の取り方、歌いまわし方、そのどれもが、如何にもイタリア語の歌、という感じで、聴けば聴くほど感心する。例えるなら、外国人が自分の母国語で考えたのをイタリア語に訳しながらしゃべるのとは根本から異なる、イタリア語で思考してそれを直接話しているネイティヴのイタリア語だ。一音一音に、本当に意味が実感を伴って込められている、それがダイレクトに感じられる、稀有な演奏である。

 ヴァイオリンを、そしてカンタービレなメロディを愛する人ならば、万難を排しても探し当てて手に入れるべき一枚だと思う。

 MV Cremona MV005/018
"Musica per i violini degli Amati"
Ensemble L'Aura Soave Cremona
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