趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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大掃除、・・・・・・怒りの日、この日世界は灰と帰す(笑)

 チャレンジしてみたものの一向に終わりが見えない(泣)

 どうもこの作業、やる気がでないのだ。

 仕方がないのでBGMの力で何とかしてみようと試みた。

 愛用のスピーカーを掃除中に鳴らすと埃で機械が傷みかねないので、PCを起動してiTunesからの再生にはなってしまうのだが。

 まずはモーツァルトからかけてみる。

 ……聴き入ってしまう。大体、こんな素晴らしい音楽を聴いてしまうとますますそうじする気力がなくなってしまう。

 力で押し切ってみようか、と、トスカニーニ指揮の第九をかけてみる。
 これは悪くない。それなりに作業は進んだ。

 しかし、第九の演奏が終わっても掃除はまだ始まったばかり。次は何をかけるべきか。

 この掃除と言う同じことの繰り返しのような作業には、やはり同じことの繰り返しのライヒのピアノフェイズなどどうだろうか。

 ……これは失敗であった。微妙にずれながら繰り返されるピアノの音が、ちょっと気持ち悪く感じてしまう。

 その後、ジャズもダメ、アイリッシュもダメ、日本のポップスもダメと来て、今度はレゲエを試してみる。

 ……意外とよい。ボブ・マーリーの声が掃除に疲れた心身に優しく沁みとおる感じだ。やはりこき使われて疲弊した労働者階級のために生まれた音楽なのだろう。

 その連想で、ナット・アダレイのワークソングを数種類の演奏出かけてみる。やはりぴったりだ。イタリア映画の古典「苦い米」で、季節雇いの女性労働者たちが労働歌を歌いながらつらい田植え作業に従事するシーンを思い出しながら、やはり掃除のようなつらい労働には労働歌が必要だと痛感する。

 労働歌ならば、と言うことで、美輪明宏の「ヨイトマケの歌」をかけてみるのだが、かあちゃんのためでもこどものためでもないせいか、いまいちそこまでがんばれない。あの歌に歌われた彼女たちとは背負っている者の重さが違いすぎるのだろう。

 なにか毛色の違った方向に行こう、と思って、ふとグレゴリオ聖歌をかけてみたところ、これが不思議としっくりきた。きっと中世の修道士たちが労働に従事しているとき、グレゴリオ聖歌を歌っていたに違いない。特に作業がはかどったのは「怒りの日」で、まさに掃除と言う地獄の苦しみの中で救いを求めるにはぴったりの歌だ。内容的にもさまざまな燃えるごみが灰に帰す点で最後の審判と共通する(苦笑)。

 そのあとは、ひたすら古今東西のレクイエムの「怒りの日」や、ベルリオーズの幻想交響曲、リストの死の舞踏など、怒りの日のメロディを引用したものをかけ続けて、何とか掃除を続けている。

 ……しかし、全く終わる気がしない。

 このままいくと年末の大掃除も第二次五カ年計画くらいに突入しそうな予感である(死)。
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