趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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副王家の血筋

 GW恒例、イタリア映画祭の最終上映で、「副王家の血筋」と言う映画を見てきた。

 リソルジメント時代のシチリア貴族社会を舞台にした歴史物の作品で、父と子の葛藤、引き裂かれる恋愛などをちりばめながら、豪華にそして力強く、イタリア建国期のシチリアが描かれていく。

 リソルジメント時代のシチリア貴族社会と言うと、真っ先に出てくるのは巨匠ヴィスコンティの名作「山猫」だが、やはり舞台を同じくするだけあって、「山猫」へのオマージュが随所に出てくる。別荘への避暑然り、舞踏会然り。

 しかし、この作品は、「山猫」とは根本的に異なる。「副王家の血筋」は、「山猫」が滅びの美学を描いた作品であるのに対し、したたかに生き延びる生の原理を描いた作品なのである。

 主人公の周辺は、破滅であふれている。
 その中を、マキアヴェッリ的したたかさを持って、主人公は実に力強く生き延びて行くのである。

 滅びの美学は、鑑賞するものに陶酔をもたらす。それに対して、生の原理は、鑑賞するものに興奮をもたらす。陶酔は甘美であるが、興奮はどこか苦々しい。しかしながら、生命力に満ちた春野菜が苦みに満ちているのと同じで、その苦々しさはある種すがすがしい快楽でもあるのである。

 「副王家の血筋」は、そんな苦みをたたえつつ、鑑賞するものに力強い興奮を与えてくれる、非常に見ごたえのある作品であった。
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コメント

私はこれ見なかったのですが、Tiberiusさんのレビュー読んで、見ておけばよかったなあと思えてきました。

>滅びの美学は、鑑賞するものに陶酔をもたらす。それに対して、生の原理は、鑑賞するものに興奮をもたらす。
おお、名言ですね。
考えてみれば、ヴィスコンティが滅びの美学を描いていたのは、1960~70年代。
その後もしたたかに生き延びる(た)者達というのは、私も見てみたいものです。一般公開無理でしょうね…。

ちなみに、今年度アカデミー賞の「ノーカントリー」が滅びゆくものを描いていたので、ヨーロッパより半世紀ほど遅れて、アメリカにも来たのか?なんて思ったものでした。

  • 2008/05/07(水) 23:50:54 |
  • URL |
  • なつ #3ItBdoaY
  • [ 編集]

この作品は、ミニシアター単館あたりで是非とも一般公開してほしいです。
非常に通好みの素晴らしい出来の映画なので、場所を選べばそれなりに売れるのではないかと思うのですが……。

「ノーカントリー」はまだ見ていないので、是非とも見てみたいと思います。

  • 2008/05/08(木) 00:31:28 |
  • URL |
  • Tiberius Felix #-
  • [ 編集]

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