趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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インマゼールのベートーヴェン交響曲全集

 ジョス・ファン・インマゼールがジグ・ザグ・テリトワールからベートーヴェンの交響曲全集をリリースした。

 私も購入し、聴いてみたのだが、非常に独特な面白い演奏であった。

 最大の特徴は、スピーディでありながら、ずっしりとした重さを感じる、凝縮された感じを覚える密度の高い演奏だということである。

 たとえて言うならば、鉛のインゴットを手にした時、体積の小ささの割に驚くほどずっしりと重い感覚に驚く、そんな印象の残る演奏である。

 この特徴は、特に初期作品とことのほか相性が良いようである。

 正直に告白すると、私はベートーヴェンの交響曲1,2番の魅力にピンと来たことがなかったのだが、彼の凝縮感のある独特の演奏を鑑賞して、ようやくその曲の魅力、斬新さに開眼した。

 英雄では、他の作品に比べてそれほどスピードをあおることはなく、じっくりと聴かせるのだが、そこから感じ取られる猛烈な引力に感心させられる。運命と田園では一転、快速テンポの切れ味鋭い演奏に変わるのだが、速さと重さの同居と言う稀有な演奏をやってのけているのである。

 私が偏愛する交響曲第七番の演奏も独特だ。
 この作品の第二楽章は、泣き叫ぶような情感を感じるのであるが、彼は悲しみを胸のうちにしまいこみ、表面には出さぬながらもずっしりと胸の奥底に沈殿するかのような演奏ぶりで聴かせてくれる。私がこの作品の演奏の中で白眉と思うブリュッヘンの録音の、素直で豊かな情念の表現の魅力には鼻の差で及ばぬながら、ブリュッヘンの録音に双璧をなす魅力的な録音であった。

 4番、8番は、楽曲の素材の味をそのまま引き出した演奏。これもまた、非常に素直に効き進めることができ、耳に心地よい演奏である。

 しかし、第九だけはどうにも物足りなさを感じてしまった。

 この破格の作品は、その本質を浮かび上がらせるためには、ある種の熱狂、デュオニソス的狂気が不可欠と考える。しかしながら、インマゼールの演奏は、非常に冷静さを感じてしまうのである。
 
 確かに、彼の解釈の特徴である重みを伴った凝縮感は、はっきりと感じる。しかしながら、それはある意味あらゆる物質が凍りつく絶対零度の凝縮感とでも言うべき、非常に冷たい肌触りの凝縮感なのである。

 通常、どちらかと言うとやけどしそうな熱さを伴う演奏がベートーヴェンの演奏には相性が良く感じられる。よく正反対として対照されることの多い、フルトヴェングラーの演奏もトスカニーニの演奏も、やけどしそうな熱さを帯びている点では同じであるし、ブリュッヘンの冬の夜のたき火のような心を温めるような温かみ、ガーディナーのやはりトスカニーニ的な熱感と、古楽系の演奏でもやはりベートーヴェンの演奏には、作品の力から呼び覚まされるような温度感が産まれてくるように思われる。

 そう言った意味でこの絶対零度の重みと言うのが非常に斬新で、独自の魅力を強く持っているのではあるが、こと第九に限ってはやはり無理に冷たさを維持しすぎと言うか、作品の本質に照らして不自然な印象が残ってしまうのだ。

 第一楽章から第三楽章までは、それでもこの独特の解釈は十分に魅力的ではある。しかしながら、「このような調べではない」と前三楽章を否定して、全く新たな次元へのパラダイムシフトを歌いあげる第4楽章では、やはり一転してデュオニソス的熱狂に走ってほしいという感覚がぬぐえない。

 とはいえ、第一から第九までの全36楽章中、実に35楽章がベートーヴェン解釈の全く新たな地平を感じさせる素晴らしいものであったのだから、この全集の素晴らしさはフルトヴェングラーやトスカニーニ、そしてブリュッヘンに匹敵する普及の名盤として長く記憶されるべきであろう。
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