趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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怖いくらい通じるカタカナ英語の法則

 私は語学は好きなのだが、ラテン語やギリシア語、イタリア語の楽しさに比べるとどうも英語と言う言葉は面白みに欠け、特にリスニングの難しさ加減に嫌気がさしていたこともあって、大学受験が終わってからは積極的に勉強しようと言う気にはならなかった。

 英語の一番いやなところは、何といっても文字と発音の乖離があまりにも激しすぎることゆえに、血のにじむような努力を重ねてボキャブラリを増やしたところで、結局その覚えた単語を聴きとるためにはさらに数倍、数十倍の努力と時間が必要なことである。ラテン語やギリシア語は読むだけでよいので、リスニングなど関係ないし、イタリア語も音韻成分が日本語に近く、特に母音が多いおかげで、覚えた単語は即聞き取れる場合が多い。それに比べて英語の子音ばかり多いあの発音ときたら……

 英語を聴いていると、バルバロイと言う言葉が-「聞き苦しい言葉を話す連中」と言う意味合いであるが―まさに実感を持って思い出される。

 しかし、転職して一年たち、結局日本で一番現金収入に結び付く能力は英語のリスニング力に他ならないと言う悲しむべき現実を痛感して、金のため仕方なく、リスニングを勉強しようと思い始めた。ああ、先の大戦で世界を征服したのがトルーマンではなくムッソリーニだったら今頃日本人はもっと幸せに暮らしていたに違いない!

 しかしながら、あのやってもやっても報われない徒労感をまたたっぷりと味わわねばならないと思うと、なかなか腰を上げる気にならないのだが、ふと書店の語学コーナーにあったこの本が、リスニングに対するパラダイムシフトをもたらしてくれた。

 発音が聞き取れないのは、努力が足りないのではなく、単語を覚える際の「振り仮名の振り方が間違っている」からなのだ、と言うのである。

 知っている単語だけで組み立てられた英語が発音されると途端に聞き取れなくなるのは、単語と単語が連続する際に音韻の融合や音韻の消滅が起こるため、われわれが一生懸命覚えた「振り仮名」との一致を認識できなくなるからだ、と言うのが、脳科学の専門家のこの本の著者の見解である。

 思わず膝を叩いた。まさに、その通りである。
 
 よくよく考えてみると、たとえばこの本の例文に出てくるhow is it going?と言う会話文一つとっても、我々はまず先に「音と結び付きのない、画像情報として」「あたかも感じを覚えるがごとく」"how""is""it""going"と言うそれぞれの単語をバラバラに覚えていて、まず先に画像情報が意味と結びついていて、音を意識するのは画像情報を認識して意味を認識したのち、画像情報と結び付けられた音声情報を手繰って音に起こすのではないだろうか。そして、音に聞いた家語を理解するプロセスとしては、まず耳にはいた音をアルファベットに変換して、目の前に聞いた単語のつづりを映像として描きだし、それを画像情報として読み取って初めて、意味の認識に至るように思われる。ちょうど、日本語で会話していて、無意識に耳に入ってきた音を漢字変換しながら理解するように。だからネイティヴがこの文章を、この本に従えば「ハゼゴン?」と発音した場合、how is it goingという画像情報に変換することができず、理解できないということになるのだろう。

 そこでこの本の意見では、「振り仮名をふり直す」ことを提唱する。what time is it now=掘った芋いじるな、式に、である。そして、複数の単語が並んだ時に生じる、単語間での音韻の融合や音韻の省略についての法則を示し、「正しい振り仮名の振り方」を指南するのがこの本なのである。

 たとえばhow is it goingの場合、how is で ow iと三連続する母音は最初のoだけ残り、あとは消滅する、itのiは実際にはエのほうが近い、it goingでt gとニ連続する子音は片方が省略され、gとtではgの方が子音として強いため生き残るのはgのほう、と言う具合である。

 このやり方であれば、文章に「正しい振り仮名を振れるようになり」、英語の理解が進む、と言う。

 確かに、学校英語において、単語ごとの発音は習うにしても、単語が並んだ時の音韻の変化については全く明示的に習った記憶がないし、それを問う入試問題も見たことがない。しかし、これこそ英語リスニング力のキーとなる知識ではなかろうか。

 実はこうした考え方は、ラテン語やギリシア語の古典詩の韻律分析の際に、音節の長短や韻律構造の分析を行う際にごく普通に行われている。ホメロスとオウィディウスを原文で読むことを楽しんでいる私には、実は慣れ親しんだ作業に他ならない。

 散文でこれをやるのは少々味気ないし面倒くさくもあるのだが、このやり方ならばあの蛮族語のリスニング能力養成という”十字架の道行”にも、何とか耐えられるような気がしてきた。
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