趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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モーツァルトの作品に降りてくる「神の一瞬」

 なんだかんだと言って、私が一番好きな作曲家はモーツァルトに他ならない。

 彼の作品が、他の作曲家の作品と最も異なっていると私に感じられるのは、その音の動きの生理的な心地よさである。メロディーの音の上がり下がり、ハーモニーの付け方、転調の入れ方、そして音色の描き方、そう言った一つ一つが実にスムーズに聴く者の耳に生理的快感をもたらしてくれる。

 もちろん、こうしたものは音楽と言うものが本質的に備えている性質であろうが、モーツァルトの手になる作品は、特にはっきりとこの特徴が表れているように感じられるのである。

 そのモーツァルトの作品を聴いていると、特にソナタ形式の作品の展開部に良く見られるのだが、まさしく「神の一瞬」と呼びたくなるようなワンフレーズが現れる。長い演奏時間の、特異点とでも言うべきその一瞬こそ、モーツァルトの天才性の最も強く輝く部分だと思うのだが、こうした一瞬が作品中に現れる例は、他の作曲家の作品には、少なくとも私の耳に聴こえる感覚としては、あまり見受けられないようだ。

 たとえば、フォルテピアノ協奏曲23番の3楽章中盤、クラリネットが新しい旋律を奏で、木管アンサンブルがそれに答え、フォルテピアノがそこへ続く箇所の、クラリネットの歌いだすあの一瞬。
 また、フォルテピアノ協奏曲21番ので、タメのきいた上昇音型を上りつめた後に転調して輝くような高音の歌が始まる、あの厚い雲の中を飛びあがる飛行機が雲海の上に出て一気に太陽の輝きが眼前に広がる瞬間にも似た、その転調の一瞬。

 他にも交響曲第40番第一楽章の展開部で現れるホルンの方向や、ジュピターの最終楽章、コーダの入りの反行フーガの入りの部分、短調のフォルテピアノ四重奏の第一楽章展開部の終わりの、対位法を駆使して緊張に緊張を高めながらそれを一気にユニゾン解放する、あのユニ損の出だしの一瞬。

 こうした瞬間の神々しいまでの音の快楽は、まさに比類のないものである。
 だからいつの間にかモーツァルトのCDが集まっているのであろう。
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