趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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アテナイ≒故宮説~迷宮的旅行記第8章(2)

 考古学博物館は、ギリシア文明の遺産の数々が収められていて、実にすばらしいのだが、ひとつ気づいたことがある。

 彫刻でも、壺絵でも、古典期の最盛期の作品が、思いのほか少ないのだ。

 アルカイック・スマイルを好む私には、アルカイック期のコレクションが充実しているのはうれしかったのだが、しかしやはり最盛期の古典期の作品が少ないのはさみしい。

 思うに、ギリシアは長年オスマン・トルコ帝国に征服されていたので、ギリシアの遺物にあまり関心を持たなかった帝国政府が欧米列強に売り払ってしまったのではないだろうか。だからこそ、ウィーン古典美術館やヴァティカン美術館、ルーヴル美術館などにすばらしい古典彫刻の数々が収蔵されているのだろう。

 それでも有名な「アガメムノンのマスク」をはじめとするミュケナイの黄金の数々など、実にすばらしいコレクションで、これが発見されたのがギリシア独立後だったのはギリシア人にとって本当に幸運だったと言えるだろう。

 複雑な思いで博物館の見学を終えた私は、アテネのハイライト、アクロポリスへと向かう。

 アクロポリスはアテネの神域で、パルテノン神殿をはじめいくつかの神殿が作られていたのであるが、これらの神殿は同時に要塞を兼ねていたため、非常に切り立った崖の岩山の上に頑丈な城壁に囲まれて立っているのである。

 参道を上がっていくと日本の寺院同様、山門に行きつくが、これが大理石でがっしりと強固に作られていて、神殿というより要塞という雰囲気が実に濃厚なのだ。

 山門をくぐると、眼前がぱっと開け、あの古典的美の典型とされるパルテノン神殿がそびえている。

 やはり写真と実物の迫力の違いは言うに及ばず、その比率の美しさにはうならされたのだが、補強工事の足場が組んであったのが残念であった。

 アクロポリスにはパルテノン神殿のほかに二つほど神殿の遺跡があるのだが、どうも保存状態がいまいちで、以前訪ねたアグリジェンドの神殿のうつくしアに比べるとどうも見劣りがしてしまう。しかし、それでもなお、歴史の重みというか、ヘーロドートスの「歴史」に書かれたあの神殿が今なお眼前にそびえているという事実は、感動である。

 アクロポリスを後にして、参道を下っていくと、劇場の遺跡が二つある。ひとつは修復されて補強工事を施され、現役の劇場として復活している。もう一つは、遺跡の姿のまま保存されている。この劇場で、オイディプースやメーデイア、アンティゴネーなどが上演されていたのだと思うと、これまたなかなか感慨深いものがある。
 ギリシア悲劇はギリシア文学の中でも、さまざまな韻律を駆使し、あちこちの方言が入り乱れ、語順も構文も解釈が難しいとあって、とても素人の手に負えるものではないのだが、いつか労働を卒業できたら、ぜひともギリシア語の原文で味わってみたいと思っている。

 アクロポリスから先には、古代のアゴラ、ローマ時代のアゴラなど、遺跡が連なっていて、なかなかある気概のある散歩コースになっている。やはり、「現場」とでもいおうか、その場には特有の力が感じられて、何とも楽しい。……とはいえ、そこでストア派哲学が生まれたという柱廊(ストア)の遺跡を復元した場所は、快楽主義者の私には相性のよろしくない場所でもあるので、早々に退散したのだが(笑)。

 宝物は売り払われてしまったかもしれないが、持ち去ることができない遺跡はギリシアに残り続けた。ふと、北京には宝物はないが呼吸がある、台北には宝物はあるが故宮はない、という大陸中国人の台詞を思い出しながら、遺跡巡りを堪能したのであった(続く)。
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