趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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デルフォイの神託~迷宮的旅行記第8章(9)

 翌朝、再び現地発着バスツアーで有名なデルフォイの遺跡へと向かう。

 これが又、アテネからバスで3時間という遠い所にある遺跡で、やはり個人で行くのはなかなか大変なところである。

 アテネを出て30分ほど走っていくと、風景は山並に一変し、その険しい山道を延々とバスで行くのである。

 ギリシアというとエーゲ海の島々の印象が強いせいか、海のイメージの国であるが、本土は大変険しい山が続いている。古代の人々は、標高2,000メートルを超えるこの険しい山を神託を聴きにはるばる登って一というのだから、大変なことだ。

 デルフォイの遺跡は、古代は芸術の女神ムーサたちが住まうとされたパルナッソス山のすぐ隣の山のほぼ8合目あたりにある。芸術の女神がこんな人里離れた所に住んでいるというのも私の感覚からすると少々不思議だが、ギリシア人の発想ではたとえ芸術の女神であっても神々は険しい山に住んでいるもなのだろうか。

 遺跡は山の急斜面に、スイッチバック状の道に様々な供物を収める宝物殿が連なる参道が伸びていて、参道を登りきったところ世界の中心を示すというオンファロスの石が置かれ、オンファロスを中心とした広場に面して生け贄の家畜を屠る祭壇と例の予言の巫女が神託を下すアポロンの神殿が相対して並び立っている。

 生け贄の祭壇には様々な当時のギリシア語の碑文が刻まれていたのだが、書体が判読できなかったり、略語が分からなかったり、方言形が分からなかったりで、私のギリシア語力で読めるものはほとんどなかったのが残念だ。

 しかし、唯一、

 ”ΔΕΛΦΟΙΕΔΩΚΑΝ
  ΧΙΟΙ?ΓΡΟΜΑΝΤ
  ΕΙΗΝ”

 (デルフォイ エドーカン
  キオイス グロマント
  エイエーン)

 と刻まれた日分だけは、私にも読めた。「デルフォイはキオス人に神託を最初に聞く権利を与えた」というものだ。これはキオス人がデルフォイに特別な寄進をしたことの見返りにそのような権利を与えたことを刻んだものらしい。わざわざオックスフォードポケットグリークイングリッシュレキシコンを持ってきてよかった(笑)。

 しかし、ギリシア語の碑文でデルフォイの神殿といえば、”ΓΝΩΤΙ ?ΕΑΥΤΟΝ”(グノーティ・セアウトン、「汝自身を知れ」)の警句を刻んだ石柱で名高いが、それ自体は残念ながら残っていないようだ。

 その代りに、世界の中心を示すとされたオンファロスという石は残されていて、実物は博物館に、現場にはレプリカが置かれていた。

 神殿の後陣からさらに山頂へ向けて道が伸びていて、登っていくと劇場があり、さらにそこを登っていくと今度は競技場があった。これはオリンピアの祭典がない年に同じく4年に一度行われていたデルフォイの祭典でアポロンに捧げる体育競技会と演劇競技会が行われるのに使われていた者の遺跡だそうである。デルフォイの祭典はオリュンピアに匹敵する大規模なものだったそうだが、劇場も競技場も意外と小さかったのが印象的であった。

 遺跡を一通り味わった後は、遅い昼食に向かったのであるが、ツアーのお仕着せの(以下略)。

 そして、昼食の後は、ツアーの宿命、お土産屋さんへ強制連行である。
 面白かったのは、軒を連ねる土産物屋の中になぜか不動産屋があったことである。
 ここはギリシアでも有数のスキーリゾートなのだそうで、スキー好きの上流階級が別荘を構えるエリアらしい。それで「お土産に別荘はいかがですか?」という壮大な土産物屋なのであろう(笑)。

 その後、バスで再び帰路に就き、揺られること3時間、アテネに戻ってきた(続く)


 
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