趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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アッピア街道の松、エステ荘の噴水~迷宮的旅行記第八章(17)

 ナポリで食べ過ぎたせいか、その夜は食欲がなかったので、夕食はバールでパニーニをつまみ、モレッティを飲んだだけで済ませた。

 翌朝、胃もすっきりして、朝食を済ませ、一路アッピア街道へと向かう。

 地下鉄チルコ・マッシモ駅で電車を降りて、カラカラ浴場のわきを通り、サン・セバスティアーノ門を抜けると、いよいよアッピア街道、Via Appia Antica が始まるのだが、何分道幅は古代ローマの設計によるもので、二台の荷車(車軸の幅は法で一定に定められていた)がすれ違うだけの幅である。
 
 この、荷車の幅というのが、現代では普通乗用車の車幅として受け継がれている。

 ……そう、アッピア街道は現代ローマ人があのイタリア式のアクロバティックな運転で猛スピードで乗用車二台がすれ違って行く、歩くにはなかなかハードな道なのである。

 とはいっても、やはりここは歩行者用のバイパスを通るような妥協はしたくない。道沿いに住んでいる人くらいしかあえて歩かない件の道を、なんとか歩き続けていくと、最初の見所、ドミネ・クォ・ヴァディス教会へとたどり着く。

 ここは迫害をのがれてローマを去ろうとした聖ペテロの前にキリストが現れ、

"Domine, quo vadis?"(主よ、いずこへ行き給うや?)
"Eo Romam iterum crucifigi"(ローマへ行く、そして十字架に架けられる)


 という会話が行われたという場所にたてられた教会で、「その時のキリストの足跡」なるモニュメントが残っている。……まぁ、どこまで信じるかは信仰心の問題ということにしておこう。

 大変素晴らしい中世の様式で作られたそのモニュメントを鑑賞した私は再びアッピア街道に戻り、さらに足を伸ばした。

 しばらく行くとだいぶ車も減ってきて、かつてのカタコンベの後にたてられた教会がポツリポツリとあらわれてくる。そのうちの一つ、サン・セバスティアーノのカタコンベのガイドツアーに参加した。

 地下の迷宮のような墓地は独特の雰囲気で、外の気温はゆうに25度を超えていると思われた中、おそらく14度程度にひんやりとしており、それがまたいかにも墓所という雰囲気を醸し出している。……地下はなるほどワインセラーにぴったりだ、と妙な納得を得た(笑)。

 当時の人々が書き残したラテン語の文言を拾い読みしたりしながら地下迷宮を楽しみ、地上に戻り、再びアッピア街道を南下する。

 さらに歩くこと20分、いよいよ車両通行止めの区間に達し、そこにはあの、遠近法の消失点に至るまで果てしなくまっすぐ伸びた丸い石畳の、教科書などでおなじみの光景が広がっている。2000年間の磨耗で石畳はすっかり丸くなってしまっているが、これがローマ帝国健在なりし頃はまっ平らに磨きあげられていたというから、本当にすごいものである。

 道の両脇には、これまた写真でおなじみの笠松がぽつぽつと生えている。これぞ正真正銘、「アッピア街道の松」。このためだけにでも故障のリスクを冒してiPodを持ってくるべきだった、と後悔しつつ、脳内であの勇壮なメロディを鳴らしながら、意気揚々と歩く、歩く、歩く。

 古代の旅人の気分でひたすら歩いていたのだが、いくら散歩好きの私といえどもさすがにローマからブリンディシまで歩いて行くわけにもいかないので(笑)、30分ほどで引き返し、今度は途中からバスに乗ってチルコ・マッシモ駅に戻り、そこからティブルティーナ駅にでて、午後の目的地のティヴォリ行きの中距離バスに乗り込む。

 なかなか来ないバスに乗り、ようやくティヴォリに着いたのは13時ごろであった。
 バスターミナルから市街地を抜け、昼食がまだであったので、バールでパニーニとサラダを食べ、エスプレッソを飲んで軽くすませ、ると、まずは最初の目的地、エステ荘へ向かう。

 町一番の観光名所だけあって、道に標識が出ているのだが、その標識の矢印を素直にたどっていくと、いつの間にやら元いた広場に戻ってきてしまう。しかし、エステ荘らしき建物は一向に見つからない。はて面妖な、いったいどうしたことかとあたりを見回すと、広場の片隅の壁についた扉の奥から何やら観光客の団体と思しき集団がぞろぞろと出てくるではないか。ふとその扉の上に書いてあった文字を読んでみると・・・・・そう、”Villa d'Este"の文字が!

 入ってみるとよくわかるのだが、これは横浜あたりでよく見かける、山の斜面に沿って建物を建てて、入口は1Fではなく最上階に作られているという建物なのであった。故に、庭からみると立派な城館ながら、最上階の入口からは平屋の地味な家にしか見えないということだったのである。

 入ってみると、有名な噴水の庭園が実にすばらしい。ティヴォリは水源に近く、豊富な水資源をふんだんに使うことができたことから、このような贅を極めた噴水の庭園が造られたのだそうであるが、30を超える様々な噴水に彩られた庭園は実に美しく、また居心地がよい。マイナスイオンがたっぷり出ている気がする(笑)。とくに、5月のイタリアのすでに強烈な日差しの下、あちこちで吹きあがる水が庭じゅうで太陽光をきらきらと反射させるのは目にも涼しげで、本当に心地よかった。

 ヴィラ・デステを堪能した私は次の目的地、ハドリアヌス帝の別荘の遺跡、ヴィラ・アドリアーナへと向かった。ガイドブックによるとバスで15分とのことで、バス停のある広場に向かっていったのだが、その広場の一角に果物を売る屋台が出ていて、実においしそうなイチゴが売られているのが目に留まる。ちょうど喉も渇いていたので、すかさず購入。さすが水の豊かな町だけあって、広場にはローマでよく見かける、そのまま飲むことのできる随時流しっぱなしの公共上水道が通っていて、その水で軽く洗いながら、イチゴを味わった。野趣あふれる酸味がきいていて、日本の品種改良の進んだイチゴに比べると少々鋭い味わいであるが、暑さに疲れた体にはそのくらいの刺激がまた心地よかったりもするのである。

 1パックのイチゴを食べつくして、バス停の前でバスを待ち始めたのだが……そのバスが、待てど暮らせどやってこないのである。イタリアにはバスの時刻表などという気の効いたものは存在しないので(!)、一日何便走っているのかも検討がつかず、日差しを避けて待つこと30分を超え、このままバスを待ち続けるか、それとも別の手段を考えるか迷っていたが、いつ来るとも知れぬバスを待ち続ける苦しみに耐えかねた私は、片道30ユーロまでならタクシーに乗ってしまおう、と意を決してタクシープールへ向かった。

 とはいえ、ガイドブックの地図にも収まらぬかなり遠い場所にあるらしい遺跡故、気軽にタクシーに乗るわけにもいかない。とりあえず運転手氏に、ヴィラ・アドリアーナまではいくらかかるか、と尋ねてみると、15ユーロだという。こういう場合は大概吹っ掛けた値段を言ってくるものだが、道もよくわからぬ場所にある遺跡へ行こうということもあり、ユーロも値下がりしたことだしここで値切ってもしかたあるまいと意を決し、言い値で乗せてもらうことにした。

 ようやくたどり着いたヴィラ・アドリアーナは、これまた贅沢に水をたっぷり使用した大変美しい遺跡で、荒廃してなおこれほど美しいのなら、現役のころはさぞや、と感激する素晴らしい遺跡で会った。なんと言っても、要所要所に配置された水が、何とも言えない安らぎを醸し出しているのである。ここで過ごしていた皇帝とその親族友人たちの豪奢な饗宴が目に浮かぶようである。実際には完成後わずか3年でハドリアヌス帝が崩御し、結局この別荘は放棄されてしまったのであるが、それでもこれだけ荒廃してなお、ローマ帝国の皇帝の富がいかなるものであったのかをまざまざと示してくれる遺跡が残っているのである。

 遺跡を堪能したあと、出口からはバス停への案内標識が出ていて、しばらく歩くと、チケットを売るバールを発見。ここからさらに5分ほどまっすぐ行ったところにバス停があるのだと教えられる。その通りに歩いて行くと、バス停らしき建物を発見し、そこでさあバスはいつ来るか、止まっていると、今度はさほど待つこともなく無事バスに乗ることができた。バスは15分強でローマ行きのバスの出るターミナルに到着し、ここでバスを乗り換えてローマにもどる(続く)
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