趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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「グラン・トリノ」、あるいはイーストウッドの"山猫"

 飛行機の中で吹き替え版でタダ見したのを偉そうに感想を書くのも気が引けるのだが、それでも書かずにいられない充実した作品であった。

 50年代―そう、ゆるぎなき合衆国の最盛期の価値観を墨守する偏屈な老人と、ヴェトナム戦争で合衆国に協力し、ゆえに敗戦後父祖の地を追われて合衆国移民となった東南アジア系民族の少年との、年齢も民族も超えた交流の物語である。

 しかし、50年代の価値観といえば、すなわち、WASPの価値観そのものである。その価値観に殉じる孤高の老人が、ホワイトでもアングロサクソンでもピューリタンでもない、アジア系の異教徒の少年と心を通わせる、というストーリーなのである。

 ……思うに、これは合衆国という平民国家のWASPという名の貴族階級の滅びの美学の映画なのではないだろうか。孤高の老人の姿は、あの「山猫」のサリーナ公爵を彷彿とさせる。最愛の甥の結婚相手に平民出身の娘を薦め、貴族たちの現状に絶望とも定年ともつかぬ複雑な感情を抱く、あのサリーナ公爵に。

 最後の結末を見るにつけ、ますますこの映画はイーストウッドの"山猫"なのだ、という思いを強くした。

 イタリア貴族の滅びの美学と、アメリカ市民の滅びの美学は、文化的な違いがあるのは当然であるが、それでも滅びの美学という本質は共通のものを感じさせ、滅びの美学をおそらくは最も愛する民族のひとつであろう日本人の私の心を強く揺り動かしたのであった。
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