趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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苦悩と癒しの音楽、パルジファル~問題はその「苦しみ」の中身ですが

”舞台神聖祝典劇”パルジファルの上演を観た。

 ワーグナーの作品の最高峰とされる作品であるのだが、そのストーリーは複雑で、かいつまんで書くと次のようなものだ。

 まず主要な登場人物は主人公パルジファル、癒されぬ傷を負って苦しむアンフォルタス王、アンフォルタスの敵クリングゾル、そしてあるときはアンフォルタスの領地で贖罪のため苦行生活を送る求道者、そしてあるときはクリングゾルの手下となって色仕掛けで騎士たちを手玉に取る魔女、と言う2重人格的なキャラクターのクンドリである。
 聖杯と聖槍を守護する騎士団の王アンフォルタスは敵の魔術師クリングゾルの差し向けた”女刺客”(そういえば某国の要人がこの作曲家を敬愛していたなあ、とふと思ってみたりする)クンドリの色仕掛けによって聖槍を奪われ、その聖槍で突かれて傷を負う。その傷は永遠に閉じない傷となって王を苦しめ続ける。王が癒されるためには聖槍を取り戻す必要がある。その槍を取り戻せるのは、苦しみを共にする愚者だけである。
 そして、最初単なる愚者として現れた主人公パルジファルがクンドリの誘惑に対面したとき「共苦」に目覚めて槍を奪い返し、その力で王とクンドリを救う。

 この話は通常、哲学やらキリスト教思想やらとの関係で非常に高度な議論が繰り広げられているようなのだが、私にはもうフロイト的にしか解釈できない作品である。槍に杯ですよ、皆さん(笑)。槍を奪われた王様が苦しみ、槍が戻ってきて癒されるんですよ、皆さん(笑)。どう考えても「無意識下で」「満たされぬ」「リビドー」が「欲求不満」を訴え「去勢恐怖」におののいている話としか考えられないと思うのだが。おカタいワグネリアンは真っ赤になって反論してきそうではあるが……

 しかし、こう言う解釈のほうがあの音楽の持つ陶酔感、官能、エロスの本質に迫っているような気がしてならないのである。
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コメント

色々な解釈が

 通常の歌劇のようにオケピットに管絃楽団が入るのではなくて、準主役で前面に出ていたのが面白かったですが、その分演奏者の粗が目立ちましたね。
 ワーグナーとしては人と信仰の根元的なことを描きたかったのでしょうけど、難解なだけに、人それぞれ色々な解釈が成り立ちます。フロイト的解釈、いいんぢゃないですか。
 聖杯だなんて堅いこと言わないで、ヴェーヌスベルクやクンドリーの花園で浮き世を忘れて、現を抜かすのもいいと思うのですがねえ。

  • 2005/11/15(火) 11:03:36 |
  • URL |
  • gramophon #mQop/nM.
  • [ 編集]

gramophonさん、コメントありがとうございます。

なんとなくドイツ人ならフロイト的演出もありのような気もするのですが、今までそういう解釈での演出が試みられたことはあるんでしょうかね。コンヴチュニーあたりに是非一度やってもらいたいものです。

  • 2005/11/15(火) 21:14:03 |
  • URL |
  • Tiberius Felix #-
  • [ 編集]

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