趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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第九あれこれ(その3)~しからばフルトヴェングラー

 fratresさんに痛烈な批判コメントを頂いたフルトヴェングラーの第九だが、確かに賛否両論ある演奏スタイルではある。とにかく強烈に個性的なので、好きな人は徹底的に好きだし嫌いな人は徹底的に嫌い、と言うタイプの指揮者であろう。

 この人の演奏スタイルの特徴を一言で言えば、『盛り上げ上手』であると私は思っている。私が録音を聴いたことのある指揮者の中で、この人ほど上手くベートーヴェンの音楽を盛り上げる人はいない。その中でももっともこの人の演出が冴え渡る曲が、第九であろうと私は考える。

 フルトヴェングラーは1937年のジョージ六世戴冠式の祝祭演奏会での録音を皮切りに、現在10種を超える全曲録音を残している。それぞれ演奏場所の名を取ってバイロイトの第九とかベルリンの第九とか呼ばれていて、いずれもライヴ録音なのだが、この人はライヴでは即興性を非常に重んじるので、他の指揮者の場合以上にそれぞれの演奏のニュアンスに違いがある。

 しかしながら、全体的な演奏スタイルは一貫している。

 まず、第一楽章のあの虚空の中から光が生まれるような神秘的なテーマを大変遅いテンポで演奏し始め、それはあたかもドイツ製の重厚な車が半クラッチでゆっくりと動き始めるかのようである。それが次第に熱を帯び、テンポは以前遅いまま、巨大なエネルギーを膨張させていくのである。演奏が進むごとに音楽の盛り上がりに合わせてテンポを或いは早め或いは緩め、その手綱さばきはまさに至芸と言うほかない。特に曲の最後に、テンポを落としつつ音量を上げていく場面など、巨大なトラックがローギアでスピードは遅くしかしこの上なく強い力で迫り来るような、圧倒的な迫力である。

 第二楽章は打って変わって高速走行、スケルツォ主部ではヴァイオリンと木管が速度を煽る中で低弦と金管が咆哮し、ティンパニの雷鳴のごとき激しい響きで威圧する。さらトリオでは曲芸的なユーモアをさえ見せつける余裕を示す。

 第三楽章では、ベートーヴェン離れしたとさえ言ってしまいたくなるような大変美しいメロディの中にたゆとうように、とてつもなく遅いテンポで一歩一歩歩くように演奏している。それはたとえるならば、少しでも長くこの美しい景色の中をさまよい続けたい、とでも思っているかのようである。それでいながらテンポは決して一本調子ではなく、ちょうど起伏のある野道を散策して上り坂では速度が緩み下り坂では速度が増すような、自然な呼吸での心地よい揺らぎ感を失わない。

 そしていよいよ第四楽章である。冒頭で強烈な和音を奏でて問題提起し、それに答えるかのように第一楽章から第三楽章までの主題の一部を奏でるのだが、そのつどチェロとコントラバスが異議を唱えて差し止めてしまう。その後あたかも自問自答するかのようなチェロ・コントラバスとオケとの対話が続き、やがてあの有名なメロディを歌い始めると、やがて他の楽器が参加し、オケ全体で朗々と歌いはじめるのだが、それでもまだ不足であると文字通り「言って(『おお友よ、そんな音ではない!}と言う歌詞を歌う)バリトンが割って入る。そうしてついに声楽も参加して『やっと第九と判りけり』と言う次第なのだが、この音楽的対話をフルトヴェングラーは実に緻密に描き出すのである。
 続く行進曲部分ではギアを一段あげて速いテンポで歌いだし、やがてアクセル全開で嵐のような猛スピードのフーガをこなし、はたまた中間部分で急ブレーキをかけて低速運転、一時停止して急発進・急加速と大立ち回りを繰り広げたあと、フィナーレでいったんぐっとテンポを落とし、エネルギーをためにためて最後のコーダで一気に開放し、火を吹くようなロケット加速で突き抜けていくのである(スピードの出しすぎで事故ってしまうことさえある)。

 このように盛り上げ方の上手さの点では右に出るもののないフルトヴェングラーの第九だが、こうした演出の妙味を真に味わうためには、第九全体が大体頭に入っている状況になっていないと難しい。いわば、何度もクリアして隅々まで知り尽くしたRPGで、アイテム完全コレクト・キャラクター戦闘力再強化などのやりこみプレイをする楽しみがフルトヴェングラーの第九を聴く(或いは『フルトヴェングラー“で”第九を聴く』と言うほうが適切かもしれない)楽しみと言えるだろう。

 もちろん、この超個性的な演奏スタイルを生理的に受け付けない人や、押し付けがましさを不快に感じる人も多い。その辺は結局好き好き、趣味の問題であろう。しかし、嫌いな人に批判する楽しみを与えることができる、と言うのも一流とされるものに共通する要素のひとつである。やはりフルトヴェングラーは巨大な存在なのだ。
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コメント

フルトヴェングラーの第9

こんにちは。
指揮者の故シノーポリはこう語っています。
「フルトヴェングラーのテンポの変化からは、曲の構造の型取りが見えてくる。テンポの変化は、曲の形態のアーティキュレーションに依存し、楽段のアーティキュレーションにつながるテンポのヴァリエーションである。」
フルトヴェングラーの「テンポの変化は、常に曲の分析により」ます。しかも作曲者の視点あるいは自らも作曲者としてのより高い次元からの視点によります。
それを主観とするか、曲のより高度な再現とするかは、好みによりますでしょう。
個人的には「推移の達人」と好意的に評価されるように、演出よりも自然さが感じられ好んでいます。

  • 2005/12/21(水) 09:05:58 |
  • URL |
  • orooro #4ujULYpo
  • [ 編集]

orooroさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

確かにフルトヴェングラーの音の流れは大変自然だと思います。私は、その自然さを演出として描き出していると思っていますが、いずれにしてもこの揺らぎ感が最大の魅力ですよね。

  • 2005/12/21(水) 22:43:55 |
  • URL |
  • Tiberius Felix #-
  • [ 編集]

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  • 2005/12/28(水) 02:00:39 |
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