趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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犬肉を貪るコロス、あるいは3幕の英雄劇

 英雄物語は、現実世界の出来事として演じられる場合、2幕の悲劇のようである。
第一幕で英雄はエスタブリッシュメントを破滅させて観客にカタルシスを与え、第二幕では英雄自ら破滅して観客にカタルシスを与えるのだ。

 古典ギリシアの英雄悲劇では、幸福の絶頂にある英雄が、結局は自己責任の結果でしかない運命の暗転に遭遇し、破滅する様が描かれる。アリストテレスは『詩論』でこの、英雄の破滅が見る人の心に恐れと哀れみを引き起こし、それによってカタルシスを与えるのが悲劇であると述べている。

 今日の株価を大いに引き下げたあの経営者も、まさにこの2幕仕立ての悲劇の主人公であるかのように私の目に映る。第一幕でエスタブリッシュメントを、破滅には至らぬまでも相当痛めつけて見せた英雄は、その英雄的傲慢さとあいまって観客にカタルシスを与え、昨日から始まった第二幕では自らの破滅の第一歩を踏み出し、再び観客にカタルシスを与えようとしているのだ。

 だが、物事を冷静に観察しようと言う人は、この悲劇にはもう一幕くあることに気づくかも知れない。

 ギリシア悲劇では、観客の立場で出来事を説明し、感想を述べて観客の情動をあおる役割を果たす、コロスという言ってみればマスコミのような一団が必ず登場する。そしてこの、見える人にだけ見える第三幕では、第一幕では狡猾な兎(=エスタブリッシュメント)が獰猛な猟犬(=英雄)にかみ殺される様を観て喜び、第二幕では用済みとなった猟犬を兎と一緒に煮込んで喜んでいたコロスが、これらの肉を醜くむさぼる様が描かれるのである。

 思うに、このコロスの姿の醜さは、常に他人との比較優劣ばかり気にしている人の醜さではないだろうか。この種の人々は、口の中にどんなに美味しい物が入っていたとしても、そのとき他人の口の中に入っているものが自分の口の中のそれよりも不味いことがわかるまで楽しめない人々である。そうすると最終的には、自分が幸福かどうかではなく他人が不幸かどうかだけが問題となる。結果、この種の人々は他人の不幸だけが楽しみ、と言う醜い幸福論を学ぶのであろう。

 人の口の中など気に留めず、今口に入っているものの味を絶対的に楽しめる人だけが、この第三幕からもカタルシスを得ることができるのだろう。私は第三幕からカタルシスを得て生きたいものだと、つくづく思うのである。
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コメント

こんばんは

  • 2006/01/18(水) 00:19:50 |
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  • uchi
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