趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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港区縦断

 久しぶりに会った友人と、港区を縦断してきた。

 まずは彼女のお勧めの更科堀井で蕎麦を食す。

 夏のそばは犬も食わぬ、という言葉は、南半球からの輸入物の新しいソバ粉が夏にも手に入るようになった今では、必ずしも妥当しないようで、事実今日食べたそばも十分に香り高く、老舗の看板に恥じぬ大変美味なものであった。

 ひと掴みすすると、そばの香りがしっかりと鼻へ抜ける。
 極力かまずに飲み込むと、しっかりとした弾力あるのど越しが心地よい。

 かきあげのさっくり感も、タネのえびのぷりぷり感も、申し分ない。久しぶりにおいしいソバを味わうことができた。

 次に私のお勧めの、おなじみ浪花家のかき氷を味わう。
 暑さの程度が実にちょうど良い感じであったので、簾で日光を遮ったオープンエアのテラス席に陣取り、自然の風を体に受けながら、あの淡雪のようなかき氷の食感を楽しむ。

 おそらく日本の昔ながらの夏の機構というのはちょうど今日くらいだったのであろう。今の温暖化した夏の盛りの猛暑では、外の席でかき氷を味わおうとしても、過度の熱気が見る間に氷を溶かし、それを許してはくれないが、9月も半ばになってようやく昔の八月の暑さのピークのレヴェルまで暑さが緩んできたのか、気温によってかき氷のとかされるスピードも節度あるもので、肌に感じる暑さとの対比を一層深く味わいながらかき氷を堪能することができた。何事も過ぎたるは、というものである。

 町中あちこちの軒先につるされた風鈴の音の涼やかさも、こうしてじっくり耳にすると本当に清涼感を感じるものだ。やはりこの界隈には、江戸以来の日本の文化が強く息づいている気がする。それはかつての浪花家のあの明治末期の風情豊かな木造建築がついに寿命を迎え、きれいなビルに建て替えられてしまった今も変わらず息づいているのだ。

 食後、日影をたどって太陽に導かれるまま散歩に出てみることにする。

 麻布で日影と言えば、何をおいても暗闇坂であろう。
 暗闇坂を上り、見るたびに奇妙な感覚に陥るウェストのくびれた高層マンションに目を奪われつつ日陰の続くまま歩いていくと、心地よいこんもりとした緑地にたどり着く。有栖川公園である。

 この公園は背の高い木々が高密度に植えられていて、非常に心地よい空間ができている。私は、こうした背が高く豊かに葉をつけた気にぐるりと囲まれた空間にいると、何か守られているような、えもいわれぬ安らぎと心地よさを感じるのだが、この公園は特にその感覚を強く感じた。

 有栖川公園を突っ切っていくと、出たところには近隣の大使館の職員向けに外国の食材を多数取り揃えた店があった。ここはチキン丸々一羽や牛肉ひとかたまりといった具合にいかにもアメリカンでダイナミックな売り方をしているのが印象的だ。その向かいのセガフレードで、エスプレッソを飲みながら一休み。
 
 その後、この界隈に詳しい彼女のナヴィゲーションに従って、白金をかすめて恵比寿に出、湘南新宿ラインで横浜へ。

 たまには横浜を離れ、普段行かない街を散歩するのも楽しいものである。特に、いつものように一人でではなく、今日のように半年ぶりに合う友人と一緒二だったりすると、なおさらというものである。
 

夕日にシンクロする音楽

 この前の日曜には散歩がてら桜木町の横浜市立図書館に歩いていき、国会図書館のコピーサービスでゲットした幻の稀覯本、一目均衡表真技能編を午後五時の閉館までじっくり読んだあと、再び徒歩で家に帰った。

 この時期の午後五時。それは私がこよなく愛して止まぬ茜色の空をたっぷりと味わえる夕暮れ時に他ならない。しかも折から季節は秋。夕暮れのもっとも似合う季節である。

 まっすぐ帰るならば旧東横線の高架ぞいにまっすぐ歩けば最短距離なのだが、これほどの美しい夕空の下であんな殺風景な道を歩くのは野暮というもの。というわけで、横浜で数図少ない、広い空を味わえる場所、そう、みなとみらいの埋立地を突っ切って帰ることにした。

 こんなこともあろうかとiPodを用意しておいたので、夕暮れの空にマッチしそうな音楽を適宜鑑賞しながら歩いた。

 まずは黄昏のメランコリーをそのまま音楽にしたかのような、ベートーヴェンの交響曲第七番第二楽章を。フルトヴェングラーの'42年も捨てがたいが、歩きながらというには少々重過ぎるので、ここはブリュッヘンの演奏を聴く。低弦のつぶやくような何ともいえない悲しげなリズムに、ささやくようなヴァイオリンの抑えた嘆きが重なり、やがて音数を増やしながらオーケストラはトッティで泣き叫ぶ。泣き疲れるまで泣き叫んだ後は不思議な安堵感がやってくる。まさにそのような、人間の心のひだをしっとりとなぞるかのような音楽が、徐々に色を濃くしていく夕空の雰囲気にこの上なくシンクロする。

 ついでふと頭をよぎったThe Highwaymanの
"And out of the tawny sunset
before the rise of the moon
and the road was a gypsy's ribbon
rooped upon the moor
the red coat troop came marching, marching, marching
the King George's men came marching, up to the old in yard"
という一節に連想して、The Highwaymanを。
 表現力あふれるアンディ・アーヴァインの演奏も捨てがたいが、夕空とのシンクロを考えるとむしろロリーナ・マッケニットのライヴ盤のほうが合うだろう。儚さを強く感じさせる秋の夕日を浴びながらThe HighwaymanとBess the landlord' daughterの儚い悲恋に思いをはせているうちにやがて茜色の空は色あせ、水平線の彼方にうっすらと面影を残すのみとなった。

 この雰囲気にはブラームスが似合う。チェロソナタの第一番も捨てがたいが、ここはクラリネット五重奏の第一楽章をチョイスした。ブラームスの音楽を聴くと私は『手に入らないものへのあきらめきらない憧れ』を強く感じるのだが、夕暮れがほぼ終わってしまった余韻の中で、あの美しい夕暮れを惜しむような雰囲気に彼の音楽はぴったりのような気がする。演奏は同時代楽器を用いたヴェランとシュタードラークァルテットによるもの。やはりこの雰囲気には、ガット弦の響きでなければ。

 聞き終える頃にはすっかり夜の帳が下り、もはや空は闇が覆っていた。最後のしめに、私はショパンのバラード第一番を選んだ。なぜ、といわれると説明が難しいのだが、そのときの心境が、この曲以外の選択肢を考えられないものとしていた、としか言いようがない。演奏はアレクセイ・リュビモフがショパン時代のエラールのオリジナルのフォルテピアノを用いたもので、エラールならではの繊細な音色が夕日の余韻を強めてくれる。

 ちょうどショパンを聞き終えた頃、家にたどり着いた。

麻布十番祭り

 昨日ははらださんとともに麻布十番祭りに行ってきた。

 麻布という町は、大江戸線も南北線もなかったかつては陸の孤島だったそうで、それゆえ一種の秘境めいた、知る人ぞ知る秘密の遊び場、東京中の遊び人の中でも最上級の通人だけがひそやかに集まる別世界、というようなミステリアスな雰囲気を持っていたようである。

 この麻布の神秘のヴェールは大江戸線と南北線が大胆なスリットを入れ、六本木ヒルズが完全に剥ぎ取ってしまったようであるが、それでもヴェールを取ったその素顔は今もミステリアスな表情を浮かべているように思われる。

 田舎者だった私は、あたかも東ベルリン市民にとっての西側の放送であるかのようにこの町を舞台にしたAVANTIというラジオ番組を熱心に聴いて都会的洗練の何たるかを学んでいたこともあって、麻布というと聖地とでも言うべき思い入れを感じてしまう。

 麻布十番祭りのいいところは、登龍、叙々苑、浪速屋といったこの商店街の名店が屋台を出すことに加え、各国大使館が世界の料理の屋台を出していることである。そしてあのAVANTIが、この三日間だけ屋台を出すことである。

 今回も、登龍で腸詰・砂肝、AVANTIで三色ペンネ、浪速屋で氷小豆に鯛焼き、フランス料理レ・シューでラムの串焼き、とたっぷり堪能し、さらには各国大使館の屋台やその他のウィンドウ(?)ショッピングを楽しんだ。

 そのあとは六本木に移動して飲み、カラオケまで歌って終電で帰宅。

 充実した一日だった!

賢明なる消費家

 かのウォーレン・バフェットは名高いグレアムの古典的名著『賢明なる投資家』を読んで巨万の富を築いたそうであるが、今日の私はバリユー株を探す賢明なる投資家のごとく、割安商品を追い求めることになったのだった。

 そもそものきっかけは、スイカ付ヴューカードを利用することによってJR交通費とスイカ電子マネーチャージに関してポイント還元利回りが2%得られることに気づいた事だった。そうすると、年会費1000円を支払ったときの損益分岐点使用価格は50,000円であるが、定期券の購入だけでも優にはるかに上回っている。したがって、ノーリスクでリターンを得る裁定取引のように、やすやすと濡れ手で粟の利益を得られるのだ。

 さらに、私が良く利用する書店の入ったルミネでそのカードを使うと、書店での利用を含め、一律5%オフとなる。さらに、そのルミネの地下には夜11時まで営業している成城石井があり、ワインやチーズも5%オフとなる。

 これに加入しない手はないので、去年の秋口に加入しているのだが、何と今週末はルミネで割引率が10%となるセールをやっていた。そこで早速、前から欲しかったが高いので買おうかどうしようか迷っていた本『古代文明発明事典』を昨夜購入し、今日さらに、日持ちのするパルミジャーノやミモレットを買いだめしようと思い立ち、成城石井へと向かったのである。

 しかし、いざ会計となったときに私は重大なミスを犯していることに気付いた―なんと、肝心のカードをしまっているケースを持って来忘れてしまったのだ。

 迷わず私は答えた。

 『すみません、カードを家に忘れてしまったので、ちょっと取ってきます。30分ほど取り置きお願いします。』

 あわてて家へ取って返し、往復でしめて30分の道のりを歩いて10%オフ(+スイカ以外のポイント還元0.5%)の利益を享受したのである。

 その額しめて……360円也(苦笑)。

 だが、考えてみて欲しい、賢明なる消費家諸君よ。私が往復30分の道のりを歩いて得た利益は、この360円だけではない。30分歩いたことによって、カロリーが消費されている。これをもし通常のスポーツクラブで消費したのならばおそらく1000円相当分くらいはかかるのではないだろうか。この機会原価を考慮すれば、私の得た利益は1360円、時給換算で2720円だ。

 巨万の富とは行かないまでも、賢明なる消費家諸君、数百の富くらいにはなりますぜ(笑)

秘密の庭園、ついに発見

 最近口述試験の勉強のため、しばしば某専門学校で監査小六法なぞを読んでいるのだが、今日は澄み切った青空に誘われて、散歩がてら桜木町の中央図書館で勉強しようと思い立ち、反町の我が家から徒歩約一時間の散歩コースを歩いた。

 ところが歩き始めると、今週一週間窓のない場所で仕事をしていたこともあって久々の青空と日光に誘惑され、ついつい遠回りに遠回りを重ねてしまった(苦笑)。

 そして普段は上り坂ゆえに敬遠する、中央図書館のひとつ手前の丘の住宅街一帯をなんとなく歩いていたとき、ふと目にこんもりとしげる緑の一角が入ってきた。そのとき論文試験の勉強をしていた秋の初めのある土曜日の記憶がふと蘇ってきたのである。

 その日私は例のごとく某ビル24階の某専門学校自習室で税法実務の恐るべき練習問題と凄絶な死闘を繰り広げ、あたかも1918年11月下旬のフランスのごとく疲弊していた。気分転換に散歩に出ようと下りエレヴェータを待っていたとき、ふと窓の外を見ると、桜木町方面の方角にこんもりと茂る緑の一角があるのに気づいた。税法実務との総力戦で満身創痍の私は緑の中で心を癒したいと、その場所を探しに行こうと考えた。しかし、そこは方向音痴の悲しさ、24階の窓から見えたあの一角は、きっとこのあたりと思うエリアの目星を付けてそこに向かったものの、結局その場所を見つけ出すことはできなかったのであった。

 この記憶が蘇ってきたとき、私は確信した。こここそが、あの秘密の庭園に違いない、と!今日、あれからおよそ5ヶ月のときを経て、ついにそこにたどり着いたのである。そこは住宅街の広がる小高い丘の頂上付近に位置する公園で、みなとみらい・桜木町あたりでは貴重な大きな木に囲まれた緑の公園であった。大きな木で囲まれた空間と言うものはそれだけで何となく癒されるものがあるが、行こうとしてたどり着けなかった秘密の庭園と言うシチュエーションが更なる喜びを私にもたらした。

 だから散歩はやめられない!
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