趣味の迷宮 ~LABYRINTHVS AD PARNASSVM~

作者Tiberius Felixの迷宮的な趣味に関する雑記帳。 主に音楽、映画、読書、語学、グルメなどの感想・論評を中心に、興味の赴くまま無秩序に迷宮的に書き綴っていくつもりです。

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掘り出し物のクロイツェル

 ベートーヴェンの作品の中でも、クロイツェル・ソナタは1,2を争う私の好きな作品である。

 先日もヒロ・クロサキの素晴らしい演奏が手に入ったのだが、それに劣らぬ素敵なディスクが手に入った。

 Covielloというマイナーレーベルから出ているもので、ヴァイオリンがメットガー、フォルテピアノがツィッターバルトという組み合わせである。

 このアルバムの最大の特徴は、ディスク1はオリジナル楽器で、ディスク2はモダン楽器で演奏しているというもので、両者を聴き比べられるようになっていることである。

 しかし、それ以上に私にとって興味深いのは、オリジナル楽器による録音の方で使われているフォルテピアノが、1795年ごろのヴァルターの5.5オクターヴモデルが使われているということである。

 クロイツェルの作曲は1803年であるが、通常、どういうわけかグラ―フやシュトライヒャーなどの1815年ごろの6オクターヴのモデルで録音されることが多いようである。しかし、以前フォルテピアニストの小倉貴久子氏のコンサートで、クロイツェルは5.5オクターヴモデルで演奏可能というコメントを聞いて、ずっとなぜ5.5オクターヴモデルを用いないのか、疑問に思っていたのである。

 実際に5.5オクターヴモデルでの演奏を聴いてみると、いかにも「フォルテピアノが限界」な感じがする。
 5.5オクターヴモデルの場合、鍵盤を端から端まで使いつくすことになるため、限界までフル稼働というような表情が出てくるし、また、おそらくは鍵盤の構造上、連打の速度に制約があり、6オクターヴモデルに比べるとどうしても連打でスピードを落とさざるを得ない。

 しかし、そうした制約のもとでの演奏は、その「限界」な稼働ぶりを耳にするにつけ、以下にこの作品が斬新で画期的なものだったか、実感がわくというもの。この「限界」を突き破る感じこそ、この野心作にはふさわしいと私は思う。

 さらに、5.5オクターヴモデルの利点は、ヴァイオリンが機動力に劣るフォルテピアノを気遣いながら演奏することで、両者の対話の緊密さが非常に増すということである。速度の取り方一つからしてヴァイオリンのフォルテピアノへの気遣いが聴いて取れ、非常に面白い音楽的対話が繰り広げられるのである。

 そうした密なコミュニケーションの結果か、ニュアンス豊かな弱音表現があちこちに出現し、それがクライマックスでのフォルテシモとの絶妙のコントラストをなし、大変表情に満ちた演奏になっているのである。

 これは、いかにもベートーヴェンというような血のたぎるパワーとは無縁の演奏ではあるのだが、実に知的刺激に満ちた、興味深い演奏だと思う。

エラール1849年による「英雄ポロネーズ」

 ポーランドが生んだ音楽家の白眉と言えば、フレデリック・ショパンであろう。

 1810年生まれのショパンは来年で生誕200周年であるが、その生誕200周年の完結を目指して、ポーランド政府が運営するショパン音楽財団がオリジナル楽器によるショパン作品の全曲録音プロジェクトに取り組んでいる。

 この素晴らしいプロジェクトも先日11枚目が世に出たのだが、満を持して登場した「英雄ポロネーズ」が実によかった。

 ヤヌシュ・オレイニチャック(フランス映画「ソフィー・マルソーの愛人日記」でショパン本人役で出演していたこともある)がエラールの1849年を弾いた録音であるが、エラールの木質の響きが、英雄ポロネーズの華やかなメロディと大変相性が良く、実に味わい深い。

 演奏解釈も、けれん味を利かせて、間の取り方、ルバートのかけ方が実に巧妙で、ダイナミックなフォルテの続くこの作品の中に時折繊細なタッチを滑り込ませ、実に表情豊かで、聴きごたえがある。横綱相撲とでも言うべき王道の演奏であろう。

 最初に手に入れた英雄ポロネーズのオリジナル楽器による録音は、ジョン・コーリが1848年のブロードウッドを演奏したものであったが、ブロードウッドは少々音が固く、彼一流の猛スピードのど迫力を味わうにはうってつけではあっても、曲そのものの地味は少々薄らいでいなくもなく感じたのだが、今回好対照をなす聴き比べができるようになったのが実にすばらしいことだと思う。

オケゲムの「レクイエム」

 ヴォーカル・アンサンブル・カペラによる、オケゲムのレクイエムのコンサートに行ってきた。

 オケゲム、などというと何だか水木しげるの漫画に出てくる妖怪か何かのような響きを持っているが、れっきとしたフランドル初期ルネサンスの大作曲家で、1410年頃生-1497年没であるから、ちょうど祭壇画「最後の審判」で有名なヒエロニムス・ボッスと同世代の人である。

 会場は目黒教会だったのだが、このカトリックの聖堂は、コンクリ打ちっぱなしに高い天井と、ヨーロッパの石造りの教会に近い響きがあり、大変豊かな音響であった。やはりア・カペッラのポリフォニーはこうでなくては。

 ミサ形式で葬儀ミサを再現するという、極めてマニアックなコンサートだったのだが、席の8割以上は埋まっていた。日本は良い国だ(笑)

ヒロ・クロサキとリンダ・ニコルソンのクロイツェル

ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタは私のお気に入りの曲の一つである。

そんなわけで、古楽器でクロイツェルの録音が出れば、ほぼ無条件に購入する。

最近出たのが、ヒロ・クロサキとリンダ・ニコルソンによる録音である。
これは全集に発展させる予定だそうで、通常は1番から昇順に録音していくのが普通だが、この全集は10番から降順に録音していく模様である。

ヒロ・クロサキのヴァイオリンは、非常に繊細な表現が持ち味で、これに対してリンダ・ニコルソンのフォルテピアノは、豪快で大胆な表現が持ち味である。この二人の組み合わせは、非常に相性が良く、非常に緻密で表情豊かで、しかもダイナミックで豪快でもあるという、大変贅沢なクロイツェルを味わうことができた。

古楽器によるクロイツェルは、私のコレクションではこれで5種類目だが、1,2を争う銘録音だと思う。

我ら多くの艱難を経て……

J.S.バッハの作品の中で、私が一番好きなのは、チェンバロ協奏曲第一番ニ短調BWV1052である。
メロディのバッハらしいかっこよさがぴか一で、特に第三楽章など、しびれる、の一言に尽きる。

そんな素晴らしい作品であるのだが、実はこれはオリジナル作品ではなく、カンタータのシンフォニアを流用したものであった。

第一楽章と第二楽章はBWV146「我ら多くの艱難を経て」の冒頭のシンフォニアと合唱曲がオリジナルで、第三楽章はBWV188「われはわが確き望みを」の冒頭のシンフォニアがオリジナルである。

……私の性格をご存じの読者諸兄にはお見通しのことと思うが、これを知った時、購入しなければならない作品となったわけである(笑)

ところが、このBWV146,188、いずれもなかなか録音がない。
私が存在を知った時にすでにあった録音はアーノンクールとレオンハルトの全集のみで、これはボックスでしか手に入らなかった。

……さすがに、これ一曲のために苦手なプロテスタント宗教音楽がぎっしり詰まった一万円近いボックスを買う気にはなれなかった。

その後しばらくして、コープマンがやはり全集の一環で録音した。

……これまた、一万円近い組みものの一部。やはり、ちょっと手が出ない。

そして私は、鈴木雅明による録音がいずれ出るのをじっと待つことにしたのである。

……10年待った(笑)。

そんなわけでようやく、つい最近出た最新刊に収録されたBWV146を手に入れた。
まさに、我多くの艱難を経て、である。

オルガンの荘厳な音色が、このかっこ良いメロディと非常に相性が良く、私のこよなく愛するチェンバロ協奏曲版のそれに匹敵する素晴らしさであった。

……が、シンフォニアと冒頭合唱が終わってしまうと、やはりどうにも相性の良くないプロテスタント宗教音楽である。

やはり私はプロテスタント宗教音楽は肌に合わないようだ。
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